2008/07/21 (Mon) 00:50
険悪::
「お、自称鬼太郎の彼女!」
「何さ“人間界では嫌われ者”」
地獄童子はぴくりと頬を引きつらせる。
「それはこっちのセリフだっての猫女。幾ら妖怪っつってもそうぽんぽん地獄に来て良いのかお前」
「あんたに関係ないだろ“地獄ではあぶれ者”。ちゃんと許可は貰ってるから大丈夫」
再びぴき、と血管が引きつる様な感覚が襲い、何とかそれを堪えて地獄童子は目の前の少女を見る。お世辞にも可愛いとは言い難い顔を、更に仏頂面させているからどうも形容しがたい。己の自慢の幽子の美しさを、4分の1でも良いから分けてやりたい物だ。
いや、ここは地獄の先輩として、大人な所を見せてやらねば。
「許可って…一体何しに来たんだ?」
「―――…」
先程のセリフを帳消しにしてやり、地獄童子は尋ねる。
見て解らないか、とばかりに猫娘は地獄童子を見てきた。その白い手には数本の手折った花が抱えられている。確か人間界には存在しない、地獄特有の花だった。なんて花だったろうか…
「花の事あんたが知ってるはずもないか。じゃあね」
地獄童子が首を傾げるのを見て、猫娘が嘆息しながら踵を返す。
つまり花の名を知る程の知識も教養も無いと。わざわざ説明する時間すら勿体ないと。
地獄童子の細くて切れやすい堪忍袋の緒が、たやすく切れた。
「本当に可愛くねぇ女だな。だから鬼太郎も人間の女に惚れるんだっての!」
「―――…」
ぴた、と足が止まる。
歩きかけた足が止まる。
去ろうとしてた体が、凍り付く。
さあ、早速あの猫化が始まるか。
噛み付かれようと引っかかれようと地獄童子は全ての攻撃を避けて反撃出来ると確信していた。流石に女を殴る嗜好は無いが、それでも赫怒した相手をおちょくる事程痛快な物はない。
何で来る? 爪か。牙か。それとも言葉か。
待ちかまえる地獄童子。しかし暫く待っても、何の反応も返ってこなかった。
ん? と足を止めたまま立ちつくす猫娘を見る。彼女はこちらを振り向こうともしない。唯よく見ると、彼女の体が小さく震えている事に気付いた。
これは…と地獄童子は血の気が引いていくのを感じた。
地獄童子はこの世…否、あの世で嫌いな物がある。
偉そうに金棒を振り回す鬼共と、狡賢い餓鬼共、そして…女の涙である。
「お、おい…」
地獄童子は駆け寄ってその顔をのぞき見た。
そして思わず額をうって空を仰ぐ。
そこには地獄童子の何よりも嫌いな…女の涙が存在していたのだった。
***
「悪かった! 言い過ぎたって。頼むから機嫌なおしてくれよ」
地獄童子はぱん、と顔の前で両手を合わせて見せた。
猫娘は驚く程静かに静かに泣いていた。表情は無に等しく、唯止めどなく涙で頬を濡らしていた。地獄童子がその肩を揺さぶると、ようやっと嗚咽を漏らしたのだ。ようやっとその顔をくしゃくしゃにして、その場にしゃがみ込んだのだ。反応が出来なくなる程、先程の言葉が胸に刺さったか。
こんな所を見せたら幽子に何と言われるか。きっと目くじらを立てて地獄童子を責めるに違いない。
美しい故に怒った顔は尚怖ろしく見える。幽子の怒った顔を想像して、再びぶるりと地獄童子は体を震わせた。
猫娘は膝を抱えてしくしくと泣いている。
地獄童子の言葉には反応を寄こしてくれない。
ほとほと困り果てた地獄童子は、思わず恐怖しながらも愛する者の名を呟く。
「どうすりゃいーんだよ、幽子~…」
知りません、自分で何とかしなさい、と叱咤する幽子の声が聞こえてくる様だ。
しかしその時、猫娘がようやっと泣く以外の反応を示した。
側に置いていた花を、弱々しく掴む。顔を伏せたまま、彼女は地獄童子に向かってその花を突き出してきた。
地獄童子はどうすれば良いか解らない。唯それを受け取ったらマズイという事は感じた。だから正直に尋ねる。
「おい…どう、しろと?」
「お願い」
蚊の泣く様な声が聞こえる。もごもごと何を言っているか解らない為、地獄童子は彼女の顔に耳を近づけた。
「これ、鬼太郎の所に持っていって」
彼女は確かにそう言った。たぶん聞き間違いじゃない。…自分に人間界に行けと言ってきた。
「む、無茶苦茶言うなよな、お前!」
「胎内道通れば…あんただって行けるだろ」
「あのな、俺はお前と違って地獄では何かと仕事と規則と法律が…」
こんな所で油売っててか、と呟く声が聞こえた。何だこいつは。元気なのか。
しかしその後、猫娘は即座に「ごめん」と謝ってきた。驚く程すんなりと。
「泣いてる場合じゃないの。これを早く夢子ちゃんに…」
「ユメコ…」
あの人間の女の子だ。てっきり鬼太郎の彼女かと思いきや、そうではなかったという、例の。
「妖怪との戦いに巻き込まれて…怪我したの。この薬草じゃないと治らない。だから…」
わざわざ地獄に来たというのか。許可はおそらく親父が取ったのだろう。それにしたって一人きりで、まだぬらりひょんとの戦いの残り香で不安定なこの地獄に。
何で鬼太郎が来ないと尋ねた。猫娘はバカ言うなと答えた。
「鬼太郎が夢子ちゃんの側にいてあげないと」
夢子ちゃんは苦しんでるんだよ、と告げる。こいつは一体何なんだ。地獄童子は再び襲い来る困惑に顔を歪めた。
「一つ、バカな事聞いて良いか」
猫娘がざ、と乱暴に花を突きつけてきた。仕方ない、と地獄童子はそれを受け取る。受け取ってしまったら、それが承諾の合図になると解っていながら、この愚かな質問に答えて貰うため受け取った。
「お前…悔しくないのか」
一応第三者の目から見て夢子は猫娘の恋敵で…その恋敵が想い人と共にあるのだ。しかも恋敵を助ける為の使いっ走りのような扱いを受けている。これでは地獄童子が言うのも何だが…あんまりではないのだろうか。本当はそのまま死んで頂いた方が(そんな事鬼太郎の仲間達は口が裂けても言わないだろうが)彼女にとっては都合が良いのでは…
その時、ようやっと猫娘が顔を上げた。
相変わらず…酷い顔だった。
唯ぎっと地獄童子を睨み付ける瞳が…意志を湛えた瞳が、思わず地獄童子の胸を打った。
「巫山戯るな。夢子ちゃんは鬼太郎の夢の架け橋なんだよ。鬼太郎はそのために戦ってんの。あたしはそんな鬼太郎の想いを、支えるために生きてんの」
「―――…」
バカか、と思わず呟いた。
お前そんな人間より良い奴過ぎてたら何時か死ぬぞ。それこそ寿命関係なく長生き出来ねえぞ。
あまりに驚いた為、その言葉が思わず口から出た。猫娘はそんな事知ったことかと返す。あり得ないあり得ないと地獄童子は頭を振った。こんな善人…否、善妖怪いて良いのか? 仏様の領域だぞこれ。
「おま…お前、止めちまえ。お前苦しむ必要ねぇよ。鬼太郎なんて止めちまえ」
男なんて世の中地獄まで見渡せば幾らでもいる。自分の様な美男子だっているんだぞ。絶対に変えた方が良い。
猫娘がこの時きょとん、と地獄童子を見た。
そしてこの時初めて…まだ涙の後は残るものの…地獄童子に対して笑みを見せた。
「何言ってんのさ。止められるんならとっくの昔に止めてるよ」
あんただって幽子さんを諦めろって言われて、諦められるのか。
尋ねる猫娘に、地獄童子はふと想像する。まず幽子が自分以外の男に惚れるなんてあり得ないが、もしだ、万が一そんな事態に陥ったら…
「い、生きていけねぇ!」
「死んでんだろ」
「幽子無しの人生なんて考えられねぇっ…!」
「だからもうどっちも死んでんだろ」
あんたは生きてんのか?と猫娘が首を捻る。今はそれが問題ではない。
「お前の気持ちは良く解った…だけどな! 何か色々とおかしくねぇか? お前もうちょっと自分の幸せってやつ噛みしめろよ。本気出して考えてみろよ。少し我が儘言ったって罰あたらねぇよ」
「―――…」
ふ、と猫娘が苦笑を漏らす。
腫れてしまった眼を、その目尻に一筋残る涙を拭い、小さく笑む。
「うん…有り難う」
「―――…」
地獄童子は猫娘を見つめる。
あれだけ不細工に見えていた顔が、今では天女でも見るかの様な気分だ。人の内面はそのまま顔に出るのか。地獄童子は先程の言葉を非常に後悔した。なるほど、やはりあれは禁句だった様だ。
「あの、よ」
猫娘が地獄童子を見る。その顔はそろそろ人間界に出発してくれと訴えている。
地獄童子はぽん、と猫娘の背を叩いた。
「辛くなったら、来いな。幽子も俺も、待ってるからよ」
「…それって…死ねってこと?」
「いやそうじゃなくて、今日の様に」
大層嫌そうな顔をする猫娘に、違う違うと地獄童子は手を振る。再び「有り難う」と笑んだ猫娘の頭を、地獄童子は思わずくしゃくしゃと撫でた。何だかこいつが可愛く思えてきた。
しかしその時、ふと背後から押し寄せる殺気に、咄嗟に首のマフラーを外す。
猫娘を撫でていた手を引っ込め、地獄童子はさっとマフラーを構えた。そして。
―――がぎんっ!
確かな手応え。そこにあって自分を攻撃してきた相手に、地獄童子は思わず苦笑いを漏らす。
「…俺、何かしたか?」
「自分の胸に聞いてみろ」
低い声が漏れる。
大体キサマが何故ここにいる、と地獄童子は問いたくなった。
隻眼の半妖――鬼太郎に。
「き、鬼太郎!?」
猫娘の素っ頓狂な声が響く。
鬼太郎はちらりと猫娘を一瞥し、再び迸る殺気で地獄童子の肌を抉る様だった。
「何で泣いている」
「え、いや、ええとこれはだな」
「お前が泣かせたのか」
「ええと、初めは俺だった様だけど…」
地獄童子は尚もオカリナの剣で攻めてくる鬼太郎を、懇親の力で押し返した。
「きっかけはたぶん、てめえだっつの!」
「巫山戯んな」
巫山戯てんのはキサマだと地獄童子は返す。地獄童子のマフラーを避け、驚く程の早さで懐に潜り込んできた鬼太郎の刃を、ぎりぎりの線で避ける。剣の切っ先が服の端にひっかかり、小さな穴を開けた。地獄童子は「お前な!」と鬼太郎を責める。
「心配なら初めから二人で来るかてめえ一人で来れば良かっただろうが!」
「っ…」
ぐ、と鬼太郎の言葉が詰まる。意味もなく訳の解らない戦闘を繰り広げる二人に、猫娘が待ったを掛けた。
「ちょ、ちょっと待った! ごめん鬼太郎、あたしの所為なんだよ! あたしが勝手に一人で泣いたの! 薬草はここにあるから! すぐに夢子ちゃんを助けるから!!」
ぴた、と二人の動きが止まる。
ぎしぎしと二人同時に、猫娘を見る。はれぼったい顔を腐心で歪め、猫娘は鬼太郎に駆け寄る。ごめん、と再び頭を下げる。
鬼太郎は夢子の身を案じてここまで激怒している。そう解釈した様だ。この菩薩娘は。
「おい…」
地獄童子は思わず鬼太郎に呟きかける。
「お前、本当にもうちょっと素直になった方が良いんじゃねぇの」
「―――…」
鬼太郎は何も返さない。と言うよりは、返答が出来ない様子だった。
代わりとばかりに猫娘に歩み寄り、尋ねる。
「何ともないのかい」
「うん。あ、ほら地獄の空気ってあたしにはちょっと合わないのかも」
アレルギー反応って奴、と返す猫娘に、地獄童子は再びぎろりと鬼太郎を睨む。鬼太郎は暫くして、淡々とした様子でそうか、と返した。呆れてものも言えなくなった。
しかしその時、鬼太郎が妙な動きをする。
ぐ、と何か喉に詰まった様な声を出すと、「その…」と小さく呟く。猫娘は首を傾げた。地獄童子はそんな鬼太郎をのぞき見た。
地獄童子の顔を払って、鬼太郎はばっと顔を上げる。
「君が無事で、良かった」
まるでその一言を言うために全妖力を使ったかの様な顔だ。
地獄童子は再び呆れてため息もつけなくなった。何だこの二人、結局相思相愛か。
しかし問題はあまりに鬼太郎が素直でないのと、対する猫娘が見た目に寄らず鈍いことだろう。何だか本気で心配して損したかも知れない、と地獄童子は空を仰いだ。
――幽子…妖怪の世界もハードだぜ…
思わず心中愛する者の名を呟く。幽子は笑って地獄童子さん、お疲れ様と言ってくれている様な気がした。
「じゃあ帰ろうか。薬草集めてくれて有り難う」
「な~んて事無いよ。軽いもんさ」
そして何処までも翻弄された地獄童子を置いて、二人で帰ろうと踵を返す始末。おい待て、と心中呟くと、その声を聞いた様に猫娘が振り返った。
さ、と手を挙げる。それはごめん、のサインだった。
「有り難う地獄童子。またね」
そしてそう告げると、二人は並んで歩き出す。
嗚呼、でもやっぱり、苦労するのはあの娘か。
地獄童子は今後の二人の行く末を案じ、思わず声を上げる。
「嬢ちゃん」
二人が立ち止まって振り返った。それに手を振りながら、地獄童子は大声で告げる。
「辛くなったら、何時でも来いな」
猫娘が笑って手を振り返した。
再び二人が踵を返して歩き出した時、鬼太郎の髪の毛針がおまけとばかりに飛んできた。
地獄童子はそれを、軽くマフラーではじき飛ばすのだった。
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二人はきっと仲良くなれる。
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二人はきっと仲良くなれる。
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