2008/06/02 (Mon) 21:46
「…ダメだ。ここで途切れてる」
「ここは…」
目の前の光景に、皆が一瞬息を飲む。
鬼太郎が立ち止まったそこは、とある山の入り口だった。
生き物の気配すら押し隠すような、白い白い山。
今の季節なら瑞々しい緑がこんもりと見えて良いはずだ。
それが、濃厚な霧が渦巻き、山全体を白くしている。神聖な様で、どことなく気味の悪いその山を前に、砂かけが頭を抱えた。
それが、濃厚な霧が渦巻き、山全体を白くしている。神聖な様で、どことなく気味の悪いその山を前に、砂かけが頭を抱えた。
「あの仔猫は! わざわざどうしてこの山に!」
そこは妖怪の間で霧霊山と呼ばれる山だった。
山自体が神と崇められる場所であり、山全体を囲むその霧の深さは妖怪ですら惑わしてしまうと言う。鬼太郎はその山の前で、猫娘の気が途切れたと告げた。それに親父は神妙に頷く。
「大方山の気に猫娘の妖気がもみ消されておるのじゃろうて。さて、ここからどうした物か」
蒼は空を見た。
天頂から西に傾き掛けた太陽。日が沈むのも時間の問題。こんな山の中で、立った一人で一夜を過ごす羽目になったら、幼い少女は一体どうなってしまうだろう。
まず正気ではいられない。
じっとしてもいられない。
じわじわと襲い来る恐怖の中、ひたすら道を求めて彷徨い続ける。飽くなき放浪の果て、理性を失い朽ち果てて行くのだ。
自分もこの山の恐ろしさは幼い頃からよく知っている。
「おやっさん」
蒼は棒を握りさっと鬼太郎の肩にいる親父に声をかけた。
「ここは俺に任せてみてはくれないかぃ?」
「どうするんじゃ、蒼」
些か驚いた様に、皆の視線が蒼に集まる。
それを感じながら、蒼はさっと駆け出した。
「ちょっくら走ってくらぁ」
ざ、と勢いよく地面を蹴った蒼に向かって、皆が一斉に声を上げる。
しかし振り返らずそのまま走った。
全てを振り切るかのように駆けだした青年を前に、砂かけがぽつりと尋ねる。
「…あいつ、方向音痴が治ったのか?」
「―――…」
親父は答えない。
唯彼を肩に乗せた少年は、山を透かし見るかのように、蒼が消えていったその先を見つめた。
「蒼兄さん…」
先程の老人同士の会話は勿論のこと、腐心げに呟く少年の声は、蒼の耳には届かなかった。
***
まとわりつく様な濃厚な霧が立ちこめる。
息苦しさすら感じる中、蒼はざくざくと音を立てて森の中を進む。
一瞬足下を何かが駆け抜けたが、小さな野ネズミの様だ。一応ここにも木以外の生き物が生息しているのだな、と今更感心する。
あの時は必死だった。
自分の方向音痴が驚く程自分の運命を悪い方向へと導いた瞬間だった。
進んでも進んでも、先に進んでいる感覚は全くない。
唯同じ所をぐるぐると…輪廻の中を彷徨い歩いている様な、途方もない感覚に足が震える。
それでも、この白い闇の中を手探りで進んだ。
半分泣きべそを掻きながら、それでも泣くまいと自らに虚勢を張って。
さて、と一旦足を止めて、辺りを見渡す。
生き物の気配はやはり感じない。
足下から煙の様に沸き上がる力が、全ての気配を押し隠す。
こっちから相手を見つけるのは不可能に近かった。しかしもしも相手が届かぬ場所にいるのなら…
「向こうから来て貰うってね」
蒼は口元に手を当てた。
「おおい! 猫娘の猫ちゃんよお!」
もしも質の悪い妖怪がいたら、自分はここにいますと告げている様な無謀な策だ。
喧しい、と山の神もご立腹なさるかも知れない。
後一言二言だけ、と蒼は山に頭を下げながら叫んだ。
後一言二言だけ、と蒼は山に頭を下げながら叫んだ。
「何処だあ? いたら返事しろおぃっ!」
山自体はそれほど大きくない。
唯この乳製品の様な霧のおかげで、方向感覚が狂うだけなのだ。その点蒼は元々方向感覚が無いので、別にこの事で慌てたり調子を悪くすることはない。
はて、とその時蒼は気付いた。
――そうだ、俺って方向音痴だったっけ。
ふと来た道を振り返る。
無論、そんな行為は無駄以外の何物でもない。
やっちまった。
思わず自分の頭を抱える。
しかし立ち直りの早さも自慢の一つだ。
……………………………………………まいっか。
思わず自分の頭を抱える。
しかし立ち直りの早さも自慢の一つだ。
……………………………………………まいっか。
その場に親父でもいたら、「良いわけなかろうが!」と一言二言叱責を飛ばしてくれよう物を、今この場にいるのは物言わぬ木々のみ。
頭を掻きながら、蒼は再び猫娘を呼んだ。別にさして気にすることではないはずだ。今は少女の行方を掴む事が先決なのだから。
幼子が疲れ果てて、何処かで蹲っているのを願いながら、蒼は先に進む。
と、不意に蒼の耳に何かが聞こえた。
自分の足音以外、怖ろしい程何も聞こえなかったはずの山。
自分が進むその先から、何かが聞こえた。
自分が進むその先から、何かが聞こえた。
――泣き声だ。
小さなすすり泣きだ。
でも今まで聞こえなかった。それが突然、どうして?
ふと、すぐ側にあった木を見上げる。
ごつごつとした、岩の様な体をした木が、そんな蒼を見下ろす。
風が吹き、その葉が揺れる。そして擦れ合う葉の合間から、透き通る様な小さなすすり泣きが聞こえる。それが、先の木々に連動されているかの様だった。
「まさかお前ら…」
ぽつりと木に呟いた。
他から見れば、唯の独り言だろうが。
「伝えてくれたのか」
彼女の声を。
疑いや警戒は全くない。
蒼は勢いよく駆けだし、木々の合間を駆け抜けた。
--続く
--続く
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