2008/05/31 (Sat) 23:38
ふと嗅ぎ慣れた空気に蒼は辺りを見渡す。
手元の地図を慌てて広げた。
あれ、と首を傾げた瞬間、その光景が目に飛び込む。
静かな野原…まばらに生える木々の合間に、ひっそりと立つ荒屋が。
君と初めまして ~序~
君と初めまして ~序~
「蒼! 久しぶりじゃのう」
「おやっさん、元気そうでなによりです」
茶碗風呂にその小さな体を浸すのは、きらきらと輝く赤い目玉。
それに恭しく礼をしながら、蒼はその側控える少年を見る。うずうずと言った表情で彼も蒼を見つめていた。
それに恭しく礼をしながら、蒼はその側控える少年を見る。うずうずと言った表情で彼も蒼を見つめていた。
「鬼太郎、暫く見ねえ内に大きくなったな」
「蒼兄さん、お帰りなさい」
父への挨拶が済むまで、律儀にも待っていたのか。蒼に声をかけられた途端、彼は弾けるように駆け寄って蒼の腕に絡みついた。蒼は鬼太郎の丸い頭を撫でながら、白い歯を見せて笑った。それに釣られるかのようにして、彼の表情も緩む。
「しかし…突然の訪問じゃな。今日はどうしてここに?」
尋ねる親父に蒼は思わず後ろ頭を掻いた。誤魔化す事も考えるが、それも無意味だと感じる。唯どことなく押し寄せる気恥ずかしさに、苦笑を漏らしながら答える。
「いやぁ、それが島根に向かうつもりが何時の間にかここに来てて…」
鬼太郎が蒼の言葉に首を傾げた。
親父が風呂の中で大きく嘆息する。
もう何も言うまいと言った表情だ。…目玉だが。
「蒼兄さん、何時までここにいるの?」
鬼太郎は無邪気に蒼に寄り添いながらそう尋ねる。先程の会話はほとんど彼の脳で整理されなかったらしい。あり得ぬ程の方向音痴も、彼にとっては呆れの対象ではないのだ。
それに少し気が楽になるものの、蒼は偶然立ち寄った事への微かな罪悪感を感じた。長居するつもりは元々無い。蒼はその旨を伝え、今度ちゃんと用事がある時に来ると告げた。しかしそんな蒼に、鬼太郎は些か不満顔だ。
「用事なんて…無くても良いのに」
むしろ用事があると蒼は遊んでくれないではないか。そう不満を言う鬼太郎を、親父が窘めた。
「鬼太郎、無理を言うでない。蒼の仕事は責任が大きい」
親父に言われると、流石に鬼太郎も口答え出来ない。唯ちょっとだけ口をすぼめて、軽く床を睨み付ける。何処までも純粋な子供だ。何処までも真摯に想いをぶつけてくれる子供だ。蒼はそんな鬼太郎の頭を撫でながら、「今度おみやげ持ってくるからな」と告げた。無論、そんなことで少年の機嫌は良くならなかったけれど。
その時、ふと外から微かな喧騒が聞こえた。
蒼は敏感にそれを感じ取り、さっと鬼太郎を後ろに押しやりながら入り口を見る。
何かが近付いてくる。殺気はない。邪気もない。むしろこの妖気は酷く見知った妖気だ。
…これは。
「親父殿!」
ば、とそれこそこの小さな家になだれ込むようにして飛び込んでくる影。
大きな音を立てて現れたその人物に、鬼太郎も蒼も目を丸くした。がたん、と土足のまま、その人はちゃぶ台にしがみつくようにして近付く。
「す、砂かけ…どうしたんじゃ」
あまりの剣幕に茶碗風呂から落っこちながら、親父は突然の訪問者、砂かけ婆を見つめる。
真っ赤な瞳を炯々と光らせて、砂かけが金切り声を上げた。
「猫娘が…どっかに行ってしもうた!」
その言葉に一番大きく反応したのは、蒼の隣で呆然と砂かけを見ていた少年――鬼太郎だった。
***
乱暴に机を揺らす砂かけ。蒼は彼女の口から飛び出した名に、ふと首を傾げた。
初めて聞く名だ。横町の新米だろうか。
とにかく砂かけが、あんまり乱暴にちゃぶ台を動かす物だから、親父が千鳥足になって悲鳴を上げる。彼にとっては震度7に及ぶ大地震だろう。蒼は思わず砂かけを後ろから宥めた。その時になってようやっと、砂かけは蒼の存在に気付く。
「蒼! 帰っていたのか!」
「どうも、ご無沙汰してます」
しかし感動の再会もあっという間に流される。
とにかく砂かけはその「猫娘」とやらが心配で仕方ないらしい。
黙って状況を見ていた鬼太郎が、砂かけの裾を掴んで尋ねた。
「猫娘…どうしたの?」
その質問を待っていたとばかりに、砂かけが鬼太郎に向き直り、叫ぶようにして言う。
「それがな、今朝から姿が見えないんじゃよ。儂が起きた時には既に布団はもぬけの殻で…」
蒼はそれに便乗して尋ねた。
「猫娘…ってのは?」
「ああ、蒼はまだ会っていなかったな」
目玉が蒼の質問に、小さく頷きながら答える。
「最近砂かけの所に来た仔猫じゃよ。まだ横町には来たばかりで、そんな遠出も出来ぬはずじゃが…」
「へえ」
猫妖怪か。
仔猫って言うともしかしたら鬼太郎と同じ年頃かも知れない。しかしそんな幼い少女が、一人朝早くから何処に行ってしまったのか。
「横町にはいなかったのか?」
「そうなんじゃよ。横町の何処を探しても見当たらない…だからもう心配で心配で…」
小さな仔猫、しかも新米者ともあって、砂かけは大層腐心している様だ。自分とて、新たな横町の仲間には興味がある。それに迷子にでもなって、下手な妖怪に襲われでもしたら大変だ。
是非協力させて貰いたいが、何分どう探して良い物か…
どうか助けてくれと懇願する砂かけに、鬼太郎がすと立ち上がった。
「…猫娘の妖気…辿ってみる」
ぴん、と一筋の髪の毛が立ち、光を放つ。
砂かけは灯台の灯りを見つけた船乗りの如く、顔を綻ばせて鬼太郎に「頼む」と頭を下げるのだった。
--続く
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