お待たせしました! MH祭~夢草紙~ 第8幕!
きっと期待していたファンの方も多いはず! 大和様が今回2期鬼太郎で作品を提供してくださいました!
「水底の夢」……
たゆたう水面……煌めく光……
もがけどもがけど浮上できぬ水底で見たものは……
精鋭大和様が掲げる悪夢の世界! どうぞ「つづきは~」からご堪能あれ!
「水底の夢」
青黒い視野が目の前で波紋のように揺蕩う。視界が、揺れている。目に映る光の粒がいびつにかたちを変え、フィルター越しのように輝く。明暗を繰り返す不安定な光は、まるで蛍の灯火のように見えた。
目だけを動かせば、長い前髪が流れ、泳いでいる。頬に触れる毛の感触が知覚されない。髪は、ふわふわと蠢いている。
息苦しさから顎を上げれば、鼻から口から、泡が立ち昇る。空気が込められた透明な球体はコポコポと目の前を通り過ぎ、離れて行った。
そこで初めて、鬼太郎は今己が水の中に居る事を、知った。
――水の中。道理で息が苦しい訳だ。
人事のように遠い所でぼんやり考えてみるが、現状はひどく異質な空間で、沐浴でもしない限り水の中で浸かる理由は無い。ましてや息が苦しいと感じる位に頭まですっぽりと水面下等、普通の状況とは思われなかった。
取り合えず、手を伸ばしてみた。
片手を真っ直ぐ前へ伸ばすと、差し出した手が何かの境界に触れた。その境界を超えた先にある己の手は、波紋の奥でひらひらしている。動かした指先には、水は触れない。水があるのは目の前のわずかな距離だけなのだ。――ならば、この異状とも言える現状は、空気に触れる為に少しだけ身を動かせば解消されるんだ。
鬼太郎はそう納得し、身体を動かそうとした。
が。
鬼太郎は、動けなかった。
手だけは辛うじて動く。しかし、圧力が掛かったように体幹は動かせない。
「どういう事だ?」
しゃべったつもりの口からは、またコポコポと泡が飛び出すだけで、言葉にはならない。それがどういう事なのかと事象に追いつかない思考の中で必死に考えていたら、急に身体か鉛のように重くなった。
咽喉(のど)に違和感を感じたのは、この時だった。
ふわふわと頼りない視界に映る、二本の棒。水の帳の向こうからこちらへ差し込まれている棒が、鬼太郎の顔の前で重なるように寄り――首を、押さえていた。
咽喉元に痛みと息苦しさを伴う圧迫感がある。鬼太郎が身を捩るとそれはさらに深く食い込み、より一層の苦痛を与えてきた。
鬼太郎は重みを加えて圧し掛かってくるそれを払おうと、両手を動かして強く握った。
丸みのある、やや熱を持ったそれ――人間の手である。
人間の手が圧し掛かり、己を押さえつけ、そして、咽喉元を締め上げている。
殺される――!?
「かはっ!?」
鬼太郎の首が後屈した。
口が開かれ、大量の気泡が吐き出された。肺の中の全ての酸素が失われ、吐き出した行為に連動して大量の水を呑みこんでしまった。食道のみならず、気道にも水が流れ込み、完全に息をする動作を奪われた。
幽霊族が、この程度で死ぬもんか。
大きく見開いた鬼太郎の隻眼が強い光を放ち、人間の手を捻り上げようとした。が。
人間の手は、岩のように重く……払えない。
ならばせめて、と鬼太郎は男の服の袖を引き千切り、腕の肉に爪を立てた。男の手は短時ゆるむが、それでも鬼太郎を放しはしない。
鬼太郎は……諦めた。
掴んでいた人間の手を、離した。鬼太郎の両手は横に広がり、静かに水を抱いた。
只、最後に。
己にこの所業をなさしめている者の顔を見てやろうと、薄れていく意識の中で目を凝らす。
人間の手。水の境界のその向こう。罔両(もうりょう)のようなぼやけた影が見える。
男であった。
眼鏡をかけ、左頬に特徴的な大きな黒子(ほくろ)がついた男の影らしいものが見えていた。詳しい描写は出来ないが、眼鏡と黒子という特徴のみは目に入り、鬼太郎の呪眼はその罔両を見据えたまま、光を欠いた。
暗転する。
――天の使いでもあるのか。
誰かが呼んでいるような、そんな気がした。
「鬼太郎さん……。まぁ、凄い汗だわ。ねぇ鬼太郎さん、鬼太郎さんってば」
――猫娘が鬼太郎の家に新聞を届けに来た時、鬼太郎は昼寝をしていたのか、床の上で大の字になっていた。疲れているのだろうか。連日のように妖怪ポストに届く依頼を捌き、直接来る依頼人にも対応している事を、猫娘はよく知っている。こうして依頼の無い静かな時こそ、鬼太郎の休息の時間なのだから邪魔をしてはいけない……と、猫娘は気を遣い、鬼太郎の眠りを妨げないように注意しながら脇に腰を下ろし、ちゃぶ台に新聞を置いて鬼太郎の目覚めを待っていた。
子供のままの寝顔。無邪気で何だか可愛らしくて。これがいつもは毅然と事件に立ち向かう強さを持つ鬼太郎なのだろうか、と猫娘は腹の底から微笑ましい笑いが込み上げてきた。さらさらな前髪をそっと撫で、顔の稜線を辿りながら再び髪を手櫛する。眠る赤子に差し伸べる母のような優しい指が、鬼太郎の髪を行き来した。
鬼太郎が突然、寝苦しそうに表情を曇らせながら身を捩った。
「うっ……」
「え? 何? 鬼太郎さん!?」
猫娘は驚いて手を引いた。鬼太郎は首元に手をやり、苦悶の表情で激しく身体を左右に振った。一気に額に冷汗が噴きだした。
「……ねぇっ、鬼太郎さん!?」
猫娘は鬼太郎の身を強く揺すった。
悪夢なのだろうか。鬼太郎がこんな嫌な汗をかくなんて信じられない。驚きと軽いパニック。鬼太郎の苦しむ姿等見たくない。猫娘は知らず知らずに双眸に涙を浮かべながら鬼太郎の名を呼び続けた。
「鬼太郎さん!」
悲痛な声に、きつく閉ざされたいた鬼太郎の目が開かれた。一点を凝視する虚ろな隻眼は高い天井に向けられ、全身で荒い息を繰り返していた。伸びきった手足の指が軽く曲がっている。過呼吸にでもなっているのか、指先は痺れていた。
目の前に赤い影が見えていた。霞掛かったような視野はゆっくりと象(かたち)をあらわし、鬼太郎の見ていた赤い影も徐々に容(かたち)を示した。――猫娘である。
「猫……娘?」
「ああ、良かった」
猫娘が心底ホッとした声を出す。
鬼太郎は自分の身体を確かめるように少しずつ動かし、上体を起こした。猫娘が彼の背中を支えるように手を添える。その手の感触も、やがてはっきり伝わってきた。
――咽喉が痛い。声が嗄れる。
鬼太郎は軽く咳払いをしながら咽喉に手をやった。首に残る、絞められた感触が生々しい。
「どうなさったの? 鬼太郎さん」
「否、大丈夫だよ」
猫娘の不安気な顔に、鬼太郎は弱々しく笑み返した。「そう。ならいいのだけど」と、一応頷く猫娘であったが、納得している様子は無い。
見ず知らずの誰かに縊り殺される夢を見たなんて、言えるものじゃない。
「お邪魔するぜ、鬼太郎」
陰鬱になりかけていた部屋の中に、いきなり能天気な声が飛び込んできた。
簾を上げて顔を覗かせたのはねずみ男だった。ねずみ男はひょいと覗きこんだや否や、陰の気を感じたのか鼻をひくつかせあからさまに嫌な顔をした。
「なぁんだよぉ。この陰気くさいしけた空気はよぉ。オイオイ鬼太郎……」
ドカドカとわざと大きな音を立てて邪気を払おうとしているかのような足取りのねずみ男は鬼太郎の前――猫娘の反対側――に腰を下ろした。
「ああヤだねぇ、この暗さ。昼間っから部屋の中でじめじめと」
「ねずみ男っ! あんた言い過ぎだよっ」
猫娘が金目を光らせてクワッと牙をむく。「ひぇぇ」と、驚くねずみ男は後ろ手にずり下がった。猫とねずみの一連のやりとりが目の前でいつものように展開されていても、鬼太郎の反応は鈍いものがあった。
猫娘もねずみ男も、鬼太郎の鈍さに顔を見合わせるばかり。
暫く鬼太郎を見つめていた猫娘は、心配そうな顔のまま席を立ち、お茶の用意に入った。ねずみ男は半分まだ夢の中のような鬼太郎を一瞥した後、ちゃぶ台の上の新聞に目をやり、おもむろに今日の記事を読みだした。
「……はぁ。物騒な世の中だねぇ、全く。最近の人間共は妖怪並みに恐ろしい事件を平気でやっちまうモンなんだねぇ」
新聞を捲りながらねずみ男が呟く。
恐ろしい事――そうだな、と、鬼太郎は思う。
己の欲の為に人を殺した男を知っている。世界戦争を仕掛けようとした武器商人の暗躍を知っている。神をも恐れない暴虐の限りを尽くした男も、美貌に執着し、維持する為に妖怪と手を組んだ女も知っている……。
「お。何何……『行方不明の男性、水死体で発見』――犯人は別件で逮捕された元会社役員……っておい、鬼太郎ちゃん何すんだよ。ひとが折角……」
「五月蝿い」
ねずみ男が読み上げた新聞記事に、鬼太郎の意識が反応した。読んでいた新聞をねずみ男から取り上げ、鬼太郎はその記事の箇所を喰い入るように読みだした。
――○○湖に男性の水死体が浮かんでいるのを通りがかった旅行者が発見し、警察へ通報した。男性は死後5日程経っており、家族から捜索願を出されていた45歳の男性である事が確認された。被害者の右手には紺色の端切れ、そして爪の中には加害者のものと思われる表皮の一部が残っており、DNA鑑定の結果、元会社役員の男のものと一致した事が判明された。
新聞には被害者の遺体が見付かった山に囲まれてひっそりとある湖の写真と、犯人の男の顔写真が、出ていた。
鬼太郎は流涎を飲み込んだ。
新聞に載っている顔写真――眼鏡をかけて左頬に大きな黒子がはっきりと写し出されていた。
…………
<fin>
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何とまさかの鬼太郎視点!!
鬼太郎が人間脅かすのはよくあるネタですが、まさか鬼太郎がこんな羽目になるとはっっ……! 立場逆転、読者の意表を突くこの作品っっ……流石だぜ、大和様っっ!!////
それにしても男は鬼太郎に何を伝えたかったのか、何故鬼太郎が彼とリンクしたのか……
ナゾがナゾを呼ぶ故に広がる恐怖の世界!
大和様、素敵な作品をどうも有り難うございました!!