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夢捨て場
日常報告及びネタ暴露専用のブログです
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2008/08/23 (Sat) 22:51

ミクロホラー祭第16弾!
ラストスパートに駆けつけてくださったのは、今回初参加!
藤村珂南様です。

何と鬼太郎作品は初めての試みだそうです!!
しかしながらそんな雰囲気は微塵も感じさせぬ、クオリティの高い作品!
さあ皆さん、耳を澄ましてみてください。

…機を織る音が、聞こえてきませんか…??

↓↓↓

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機織り::

 

 とんとん からり とん からり

 人里離れた山奥に、機織りの音が軽やかに響く。
 時は夕暮れ。空は鮮やかな朱に染まり、烏の群れが、点々と黒い点のような影を落とす。茂る木々は既に宵闇の色に変わり、辺りの静けさと相俟って、不気味な雰囲気を醸し出していた。
 草に半ば埋もれかけた細い山道は、人どころか、獣すら通る気配すらない。
 そんな寂しい風景の中、機を織る音だけが、絶え間なく続いている。

 とんとん からり とん からり

 音は、山林の間にひっそりと建つ、小さな家から聞こえていた。
 こじんまりとした木の造りのその家は、粗末で、廃小屋と見紛うばかりに古びている。長年風雨に晒されてきたとおぼしき屋根や壁は、どことなく黒ずんでおり、嵐の一つでも来れば簡単に吹き飛んでしまいそうだ。人が住むには、あまりにも頼りない風情である。
 機織りの音が、窓から漏れる明かりがなければ、無人と思われたに違いない。

 とんとん からり とん からり

 薄汚れ、ところどころに破れた箇所のある窓の障子には、ゆらゆら揺れる明かりと織り機の影が落ちていた。大きな織り機とは対照的な女の細い手が、からからという音と共に右に左に動き、とんとんと機を織る。
 陽は西の山の端へと沈み、辺りはとっぷりと暗く夜の闇に沈んでいるのに、女
は仕事を辞めようとしない。
 あくまでも軽やかに、まるで歌うように、機織りの奏でる音が響く。
 と、その時、

 がたり

 戸が開けられる音がした。それとほぼ同時に、機織りの音がぴたりと止む。

「お帰りなさい、お前さん」

 出迎える女の声が、これ以上無い程の喜びにあふれる。しばしの間、家からは楽しげな女の声が聞かれた。

 十数分後。家の中で、どさりと、重い音がした。

「――お前さんの帰りを、ずっと待っているのに」

 女の声が、ひどく恨めしげな声に変わった。
 戸口を開け放したまま、土間に、壮年の男がうつ伏せに倒れている。そのすぐそばに、瓜実顔も涼しげな、ニ十代後半くらいの和服姿の美しい女が、見下ろすように立っていた。
 女が、ことりと首を傾げる。それに合わせて、長いみどりの黒髪が一房、さらりと肩の上に落ちた。

「待っている間に、お前さんのために新しい着物も仕立てたのに」

 倒れている男も、佇む女も、同じ紗の織りの、薄水色の小紋をまとっている。
 が、一分の隙もなく女が和服を着こなしているのに対し、男は、ワイシャツの上に着物を羽織り、足はくたびれた革靴を履いたままという、ひどく珍妙な格好をしていた。
 整髪料で整えた白髪混じりの頭は乱れ、わずかに見える顔は血の気を失ってい
る。傍らには、投げ出された黒い革の鞄と、濃い茶色の定期券入れ。

「なのに、お前さんは……!」

 淡々と喋っていた声に、静かな怒りの色が混じり始めた。
 ゆらりと明かりが揺れたと同時に、束ねていた女の髪が、ひとりでに解ける。女が腰を落とすと、髪がさらりと前に落ちて、まるで獲物を呑み込まんとする無数の黒い手のように、男の上に覆いかぶさった。が、男は倒れたまま、ぴくりとも動かない。
 女が、切れ長の目をつっと細める。白い手が、男の背筋をたどり、首元へと届く。
 くっと屈み込んだと同時に、髪が更にさらさらとこぼれて、男の背中を包み込んだ。
 そして、女は――

「そこまでだ」

 唐突にかけられた声に、女の動きがぴたりと止まる。
 ゆっくりと女が振り向くと、明かりを置いていた窓辺に、一人の少年が立っていた。
 着古した学童服に黒と黄のちゃんちゃんこを羽織り、手には、窓辺の行灯から出したと思われる、小さな秉燭(ひょうそく)を持っている。肩口まで伸ばした髪は顔の半分をも覆い、あどけない容貌とは裏腹に、一種異様な雰囲気を漂わせている。片方だけ見える丸い目には何の感情も浮かんでおらず、その瞳は、窓の向こうの宵闇よりも深い闇を思わせた。
 からんころんと鳴る下駄の音を連れて、少年が近付く。その姿を見据えながら、女ものろりと立ち上がった。

「招きもせぬのに押しかけるとは、行儀が悪い子だねぇ。それも、窓から入って来るなんて」
「元より僕は、ここに招かれるはずもないからね。だから、勝手に入らせてもらったよ」
「そうかい。よく分かってるじゃないか――ゲゲゲの鬼太郎」

 女がその名を口にした途端に、辺りの空気が一気に冷えた。
 僕を知ってるのか。そう問うた少年に、女は紅い唇を笑みの形に歪め、「知っているとも」と答えた。

「妖怪の身でありながら、同じ妖怪を平気で殺める鬼の子を、知らぬはずがないだろう。それとも何かい。人間どもにそう嘯くように、ここでも正義がどうとか寝言を言うつもりかえ?」

 意味ありげに微笑みかける女に対し、鬼太郎はあくまで無表情。隻眼でひたりと相手を見据え、微動だにしない。行灯から出し、胸の高さに持った秉燭の投げる光が、彼の顔に濃い陰影を刻み、余計にその心中を量りにくくしている。挑むような眼差しを真正面から受けて立ち、じっと見据えるのみ。
 水を打ったような静けさの中、女の長い髪だけが、風もないのにさわさわと小さく揺れる。まるで生きて自らの方へと招くようなその蠢きは、女の表情や佇まいと相俟って、ぞっとする程艶めかしい。
 鬼太郎の持つ小さな明かりは、女の全身を照らすにはあまりに光が弱い。故に、女の姿は半端にしか照らされず、半ば背後の闇に融けているようである。もっとも、女の目も、鬼太郎の目も、暗さなど全く問題にならないが。
 じじじっと、灯芯の燃える音がする。底冷えするような沈黙の中、先に視線を外したのは、女の方だった。

「からかい甲斐がないねぇ。ちょっとは怒るなりすればいいのに。まだ子供のくせに、可愛げのない」

 あからさまに不機嫌そうに口を尖らせた女に対しても、鬼太郎は態度を変えない。表情と同じく無感情な声で、「言われ慣れてるからね」とだけ答えた。
 そして、倒れている男のそばにすっと屈み込み、様子を伺う。首筋に手を当てて脈を取り、気絶しているだけであるのを確認すると、顔だけを女の方に向け、口を開いた。

「この人はお前の待ち人じゃない。返してもらうよ」

 明かりを土間の上に直に置き、至極冷静な声でそう言い放つ。
 その様を目にし、女は、ふんと鼻を鳴らしながらそっぽを向いた。

「人違いなのは分かったよ。あの人は、こんな男とは違うからねぇ」
「そう言いながら、今まで何人もこうして捕らえてきたのか」
「妾(あたし)はただ、機を織りながらあの人を待ってるだけさ。こいつらの方が、勝手にここへ入って来るんだよ。勝手に来た無粋な男に仕置きして、何が悪いって言うんだい?」
「よく言うよ。人間界のあんなすぐそばに、堂々と入り口を開けておいて」
「普通なら気付かないだろうさ。ここへの道は、あの人のためだけにあるんだから」

 ここには居らぬ相手を思い浮かべたのか、彼方へと向けられた女の眼がにわかに熱を帯びる。ほうっと息を吐くと、蠢いていた髪の動きが少し小さくなった。
 やれやれ、と首を振りながら、鬼太郎が立ち上がる。床に置かれたままの明かりが土間に刻む影が大きくなり、半分以上が周囲の闇と混じり合う。
 夢想する女と、それを温度のない表情で見つめる少年。その様は、揺れる秉燭の灯がもたらす明暗よりも鮮やかな対比を形作っており、まるで三途の川の向こうとこちら側のように遠く隔たっている。
 どちらが彼岸でどちらが此岸か、判然としないけれど。

「そうして間違えて入った人を、片っ端から襲ってきたのか」
「人間を喰うのは生きるため。それに仕置きとはいえ、女に喰われるのは、男にとって本望だろ。ここに来た男たちは皆、何の不満も口にしなかったよ。何が悪いって言うんだい?」

 不満を言う前に、お前が喰ってしまったんじゃないのか。
 鬼太郎が呆れ口調でそう言っても、女はまるで気に止めない。「子供には分からぬ事さ」と嘯くばかり。自らの胸に当てた白い手をきゅっと握って、再び夢見るような表情でほうっと息を吐く。
 その様を一瞥してから、鬼太郎はふっと倒れた男に目をやった。
 毎日が家と会社の往復で、家に帰り着けば後は寝るばかり。仕事に追われて家族と過ごす時間もなく、妻とも言葉を交わさず終わる日も少なくない。そうしていつの間にか、妻からは半ば愛想を尽かされ、育った子供からは振り向かれなくなって、より仕事に逃げ込むしかなくなった、現代ではさして珍しくもない哀れな男。この異世界に迷い込んだのも、その胸中にある虚しさ故だったのだろう。
 けれど、行方知れずになったと家族が不安になるだけ、この男は幸せかも知れない。世の中には、失ってから後悔する者が後を絶たないし、失っても尚平然としている者もいる。鬼太郎はそのどちらも、今まで幾人となく目の当たりにしてきた。
 妖怪ポストに手紙を入れた家族は、男に帰ってきて欲しいと、切実に訴えていた。その心中は、想い人を待ち続けるこの女とも、少し似通っているかも知れない。
 けれど、でも。

「分からないよ。人ならざる身へ変じてでも、帰らぬ人を待つなんて」

 鬼太郎が、ぽつりと呟いた。
 そう。この山々に包まれた古い家――闇の息づく異界が示すとおり、女は既に、人であることを辞めている。来る日も来る日も機を織り、男の訪れを待っては次々と喰う妖し。そうして何年ここで生きて来たのか、最早誰にも分からない。
 気が長いね。続けて呟いた少年の皮肉も、女は鼻で笑い飛ばす。

「七夕の織姫だって、機を織りながら愛しい男を待っているだろう。それと同じさ」
「織姫は、年に一回牽牛と会えるじゃないか」
「待つ身にとっては大差ないよ。一日でも一年でも百年でも」
「普通は百年も待たないだろう。その前に寿命が来るし、もっと前に諦めもする」
「辛抱が足らないんだよ、そいつらは」

 妾は違うよ、約束どおり機を織りながら、いつまでもここで待っている。
 自身を自らの腕できゅっと抱きしめて、女は嫣然と笑って見せた。
 かつて機織り女は神の嫁であり、通う男と寝る事で神と交わったと云う。が、この女には、神聖さなど欠片もない。己が想いに執着するあまり、人の道すら外れた者に、そんなものなど有りはしない。
 神の嫁でなく、人の妻でもなくなって、ただただ機を織って男を喰らうばかりの妖女。既に人である事も辞め、ただ執念のみで生き長らえる徒花を、果たして何と呼べば良いものか。
 思案顔で小首を傾げる鬼太郎に、女は嘲笑しながら、犬猫にでもするような所作で手を払う。

「さあさ、その男は望みどおり返してやるから、子供はさっさと家にお帰り。 妾は忙しいんだ。いつまでも子供に構ってる暇は無いんだよ」
「また、機を織りながら待ち続けるのか」
「そうだよ。 あの人のために新しい着物を用意したのに、この男が先に袖を通しちまったからね。また仕立てないと」

 さらりと流れて来る髪を優雅に払いながら、女は尖った口調でそう言った。
 事実、女は怒っていた。折角の着物を勝手に着た罪は、万死にも値するのだから。
 この女にとって男は、想い人以外は全て塵芥に等しい。故に、どれだけ痛めつけようが、喰ってしまおうが、いちいち罪悪感など覚えない。訪れた男たちが、元は己が人間界のそばに入り口を開けたせいで此処に迷い込んでしまった事になど、全く思い至らない。迷うのが悪いとすら考えていない。その者たちを喰って己が生き長らえている事実も、まるで意識していないのだ。
 女の心にあるのは、いつか帰って来ると信じている、愛しい男ただ一人。それ以外など、眼中にない。
 床に置いた明かりの灯芯が燃え尽きて、投げかける光が細く小さくなる。辺りはいよいよ暗くなって、女も、鬼太郎の姿も、暗がりの中に沈み込んだ。
 再び、沈黙が訪れる。ふっと灯が消えた頃になって、鬼太郎が静かに口を開いた。

「いくら待っても、お前の待ち人はもう来ないよ」

 右の掌に青白い鬼火を灯し、相変わらず感情のない声で現実を告げる。
 刹那。女の顔から、熱情がすっと引いた。ぎっと睨み付けるその目付きは、織糸のずれを直す針よりも鋭い。にわかに剣呑さを増した女の感情を映すかのように、ざああっと黒髪が伸びて宙に広がる。
 顔や体の造作には、他に何の変化も起きていない。なのに、まとう雰囲気が一気に禍々しくなったのは、胸に抱く感情故か。
 仄かな鬼火に照らされて、怒り心頭の白い貌と、まとう紗の和服が朧に闇に浮かぶ。しゅるしゅると伸びる髪は既に暗がりと同化していて、その姿は妖しく毒々しい。
 相対する少年も、青白い火を掲げて佇む様はまさに鬼。闇よりもなお昏い瞳に鬼火の光を映し、伸びてきた女の髪を、一瞥もせぬままもう一方の手で振り払う。ゆらりと火が揺れると共に、その姿も、幻燈のように淡く揺らめいた。
 夢か現かも判然とせぬ暗がりの中、女の殺気に満ちた視線と、少年の非情な眼差しが絡み合う。
 ここに迷い込んだ人間の男が、ずっと気絶したままだったのは、彼にとって幸いかも知れない。

「いい加減な事をお言いでないよ、ゲゲゲの鬼太郎。確かに約束したんだからね。 あの人はここへ帰って来ると、妾はここで待っていると」
「けど、事実だ。人間は、百年も経たずに寿命を終える。お前の待ち人も――」
「――帰って来ると言ったんだよ!」
 しゅるり。再び長く伸びた女の髪が、鬼太郎の手首を捕まえた。
 今度は鬼太郎も払い除けない。ぎりっと強く締め付ける髪にも表情一つ変えず、ただただ女を見据えるのみ。掌に置いた鬼火が再び揺れても、もうその姿も揺るがない。
 からんと、その足元で下駄が微かに鳴った。
「お前が今までどれだけその人を待ったか、その間にどれだけ人を喰ったか僕は知らない。けど、お前がそうしてまで生き長らえても、もうその人には会えないよ。少なくとも、お前がその情に固執する限りは」
「固執とはなんだい、何も知らないくせに」
「ああ、知らない。だから言うんだ。帰らぬ人を待っても無駄だと」

 ばちり。
 髪に絡め取られた鬼太郎の腕に、青い雷光が走った。嫌な匂いが辺りに漂い、先端が焦がされた女の髪が、尻尾を巻いて逃げる蛇のようにしゅるると縮まり、元の長さへと戻る。
 鬼太郎が、つっと目を細めた。一瞬だけ広がった強大な妖気が、凄んでいた女を怯ませる。鬼太郎にとってはただの威嚇だが、それでも女には十分効き目があった。
「そういうけどお前、その人の顔をちゃんと覚えているかい?」続けて放たれた言葉もまた、勝るとも劣らぬ威力で女を射る。
 勿論さ、と答えようとして、女は、すぐにはその顔が思い出せない事実に気付き、愕然とした。待った年月が、あまりに長過ぎたのか。ずっと、その男だけを愛しているはずなのに。
 が、女も簡単には退かない。ふうっと大きく息を吐いた後に、こう言った。

「子供と言ったのは撤回するよ。お前は、やはり男だね。まだ幼くとも、待たせる性(さが)をしっかりその身に持ってる。ああ、厭だ厭だ」
「急に何を。僕には、待たせる人なんかいないよ」
「男は皆そう言うんだよ。その一言が、女を踏みにじっているとも知らずに」

 女が、くっと笑う。
 その表情には、先程垣間見せた怯えや動揺は、既に影も形もなく。

「そんな風に澄ましている顔が、一番性質が悪いんだよ。女が待つのも、待つ間に何を想っているかも、自分には関係ないって顔でさ」
「………………」
「男はいつだってそうさ。好きなだけ外へ出て行って、待つ女の事など気にも止めない。待つ身にとっちゃ、まさに一日千秋だってのに。待ち焦がれる想いは何よりも辛いのに、男ははなから分かろうとしない」
「………………」
「ましてや、正義面で同族を手にかけるお前の事だ。その傲慢さで、気軽に『待っててくれ』と口にするのだろう。お前を待とうなんて物好きがいるかは知らないけど、そいつは間違いなく不幸せになるねえ。血も涙もない鬼の子に、待つ者の心情を推し量る度量どころか、待たせて悪いと思う気持ちも無かろうから」
「………………」
「行く先々で手を血に染めて、その道行きで味方も踏みにじって、鬼の子は何処まで往くのやら。父親が閻魔大王と懇意でさえなければ、お前などとっくに地獄の責め苦を受けていように」
「……言いたい事は、それだけかい?」

 長台詞に辟易したのか、鬼太郎の返答に呆れた響きが混じった。
 ふうっと大きなため息を吐いて、妖力で髪を長く伸ばす。慌てた女が同じく髪を伸ばして抵抗するが、絡み合ったのは一瞬だけ。数秒も保たずに跳ね除けられ、女は、あっという間に捕らえられた。
 じたばたと女がもがく度に、着物の袖がたゆたゆと揺れる。が、鬼太郎の髪の拘束は解けず、逆に四肢がぐっと締め上げられる。右の手首が最初に折れて、かくり、と力なく傾いた。
 しゅるしゅると更に伸びる髪が己の首にかかっても、悲鳴一つ上げないのは、女の最後の意地なのか。死の恐怖に慄きながらも、女は「図星だったかい、だから妾を殺すんだね」と言って、勝ち誇ったような壮絶な笑みを浮かべた。
 が、鬼太郎はやはり表情一つ変えず、淡々とした口調で、

「違うよ。お前は、やり過ぎたんだ。ここまで来ると流石に、僕も知らん顔が出来ない」

 と答えた。
 笑みを浮かべていた女の顔が、そのままの形で強張る。それとほぼ同時に、女を縛り上げる髪の上で、幾筋もの青白い稲妻が、火花を散らした。

 その数分後。山中を模した異世界に、大きな雷鳴が轟いた。


「……全く、好き勝手言ってくれて」

 再び点された行灯の明かりの元、鬼太郎は、小声でそう吐き捨てた。
 危うく喰われかけていたあの男は、既に人間世界へと帰っている。幸い、女と鬼太郎のやり取りなど全く知らず、目覚めた途端、着物を脱ぎ捨てて一目散に逃げ出した。鞄を忘れて行ったので、後で届けてやらねばなるまい。
 人間界へと続く道は一本道で、予め鬼太郎が片付けておいたから、何の危険も無い筈だ。今頃は、家族と再会出来ているだろうか。
 もし女に、待つ辛さが真に理解出来ていたならば、そもそも誰かを浚って喰おうなどとは思うまい。どれだけ言い繕おうが、所詮はただの身勝手なのだ。まともに取り合う価値もない。

「お前だって、僕の事を何も知らないくせに」

 佇む鬼太郎の足元には、焼け焦げた小さな蜘蛛の屍骸が一つ落ちていた。
 最後まで口数の多かった妖しの機織り女は、絶命する直前まで言いたい放題で、首を絞められてよく喋れるものだと、鬼太郎も思わず感心した程だった。その成れの果ては、ひどく惨めな物であるが。
 死んで生まれ変わってあの人に逢うと、女は最後に言っていた。この想いがお前に分かるまい、とも。
 分かる筈も無かろう。六道輪廻の道から外れた妖怪は、そも生まれ変わりなぞ無縁である。それは、人ならざる者へ変化したあの女も同じ。どれだけ執念深く求めようが、望みは決して叶わない。
 その理を知ってて、何故に叶う筈の無い事を望もうか。鬼太郎は残念ながら、そこまで愚かにはなれない。
 それに。

(生憎僕は、ちょっとした留守番以外には『待っててくれ』なんて言わないし、ただ出て行くばかりの身でもないよ――)

 山の奥から、かすかに地鳴りの音がする。恐らく女が死んだ事によって、この空間がバランスを崩し始めたのだろう。この分だと、わざわざ手を下さずとも、勝手にこの場所は崩壊する。
 巻き込まれないうちに自分も帰ろうか。踵を返しかけて、鬼太郎の目はふと、家中に散乱する着物や反物、帯の上に止まった。
 女がいた間はそちらに気を取られて、そんな物がある事にすら気付かなかったが、よく見ればどれも大変美しい。
 唐紅、蘇芳、茜色、鬱金、生成、青柳、薄縹に花浅葱に江戸紫。織り込まれている柄も、花や雪輪模様といった季節の物や、鳥や蝶等が舞っている物、昔ながらの伝統模様もあったり、まさに多種多様である。着物にはいまいち無頓着な鬼太郎にも、綺麗な物だと感じられた。織り機にかかった反物も、藤色の唐草模様だった。
 持って帰れば喜ばれるか。そう思い、鬼太郎はそちらへと足を踏み出しかけて――すぐに思い直し、行灯から再び秉燭を取り出して、着物の山へと投げ放った。
 油のかかった箇所から燃え始め、やがて他の着物へと火が移る。次第に勢いを増してゆく炎の中で、織物は次々と焼けて縮れて、美しい色を失っていった。それを背にして、鬼太郎もさっさと家の外へ出る。
 真っ暗闇の異世界で、紅蓮の炎が舞い踊る。家全体が火に包まれ、一層大きくなった山の鳴動の中で焼け落ちていくのを確かめた後に、鬼太郎も無言で、帰路に就いた。

 待つ辛さは女だけの物だなんて、分かっていないにも程がある。
 そんな機織り女の着物など、きっとあの子には似合わない。

 からんころんと鳴る下駄の音が、底無しに深い闇の中へと、吸い込まれるように消えていった。




--
ss by 藤村珂南様
恍惚として女が求めていた男性…顔を忘れるまでに女はその人を愛していたのに…
どことなく女が哀れで切ない話…しかしながら! 鬼太郎を敵に回したのが運の尽き!
やはり最凶鬼太郎っっ…
女と鬼太郎の臨場感溢れるやりとりに、どきどきが止まりませんでした!!
藤村様、本当に素敵作品を有難うございます!!

ミクロホラー祭、とうとう残るは一時間と十分ほど…
ぎりぎりまで投稿待ってますvv
さあ、祭の最後の夜をお楽しみください…

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凄いです
大和 2008/08/23(Sat)23:50:04 編集
初めての鬼太郎とは思えない位な凄味のある作品で、最後まで目が離せませんでした。

素敵な作品を有難うございました。
臨場感が素晴らしい
サラサ 2008/08/24(Sun)08:56:08 編集
妖女と鬼太郎のやり取り、というよりも、妖女と鬼太郎の反応の対比と表現の豊かさに惚れ惚れしました。相手の言葉にぶれない揺れない動じないのは、冷たいからではなく、がっしりと芯が通っているから。その芯は、揺るぎない支えがあるから。本当に素敵な作品です。
御礼
藤村珂南 2008/08/27(Wed)23:43:53 編集
大和様、サラサ様、拙作へのご感想ありがとうございます。遅くなってすみません。
(お二方とも、密かにサイトをROMってますので、PCのこちら側で小躍りしてました)
文章が拙い上、鬼太郎ssはほんっとにこれが初めてで、イメージをどう表現しようか必死だったので、頂いたご感想がとてもとても嬉しいです。何とお礼を申し上げればよいのやら…!
本当にありがとうございます。

矢野様、メールありがとうございました。
頂いたご感想は宝物です!此度はありがとうございました。
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