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夢捨て場
日常報告及びネタ暴露専用のブログです
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2009/08/10 (Mon) 08:18

張り切ってばんばん行くぜ!!
MH祭~夢草紙~ 第12幕!!

ミクロ祭をご存知の方は絶対この方の登場を待っていたはず! 前回のMH祭、更にMPL祭でも素敵な世界を作り上げてくださった矢月水様……満を持してただいま登場です!!

し・か・も!!
今まで鬼太郎作品で我々を魅了した矢月様ですが、今回はオリジナルですよっ! 待望のオリジナル!
もうオレの前置きなんて必要ねぇっっ!
行け、勇者! 「つづきは~」から刮目せよ!!

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鬼灯


 今日は文月の十日目で、四万六千日の功徳日だ。この日に観音様へお参りをすると、四万六千日分参拝したのと同じ御利益を得ることが出来る。
 江戸の人間は良くも悪くも合理主義で、だから境内はどこを見ても人・人・人であふれかえっていた。参道には種々の露店が立ち並び、呼び込みの声は途絶えるということがない。
 中でも目を引くのはほおずき市だ。紅い珠の実をその内に秘した緋色の袋がいくつも並んで美しい。ほおずきは薬にもなるので厄除けとして、功徳日に合わせ毎年大きな市が開かれる。
 おちかもそのほおずきの鉢を手に持っていた。持っていたが、他の娘たちのように、露店を冷やかしてのんびり歩くという風情ではない。
 身なりのいい娘である。際立つ美人というわけではないが、その顔にもそこはかとなく気品を感じる。一見したところで、裕福な商家の娘であることに間違いはない。
 だがおちかは今、その白い顔に焦燥を一杯に浮かべて鬼気迫る様で駆けていた。普通こんな昼日中に、若い娘が血相を変えて走っていれば、気にして声をかけてくる輩がいそうなものだが、人ごみの凄さのせいか、それともみな己が願い事に夢中で他人のことなどにいちいち構ってはいられないのか、おちかを振り向く様子すらない。
 夏の日差しはまぶしく、さんざめく人々の身体をも、その金色の衣に包んで輝かせているようだった。金魚売りが唄うような売り声を上げながら担いでゆく天秤棒に、提げた盥の中の金魚の鰭が、その夏の陽の欠片のようにちらりと瞬く。
 だがそんなまぶしい光景の何もかも、おちかのつぶらな黒い瞳は映さない。彼女が感じるのは、己が心ノ臓のごとごとと鳴る音だけであり、見えるものと言えばほおずきの、緋色の灯ばかりであった。
 ……まばゆい夏の縁日に、ひたひたとあとをつけてくる影がある。それは明るい色に染め抜かれた布に、ひと垂らしした墨のように目立つのに、どうしてかおちか以外は気づかない。
(どうしよう。……誰か)
 誰かに助けを乞うことが出来ないはずはなかった。これだけの人がいるのだ。
 なのに、誰の袖を引いてもまるで水の流れに触りでもしたかのように、おちかの手はすり抜けて行ってしまう。いつも外出の時には必ずついてくるはずの、丁稚の松吉の姿さえない。
 影は染み入る黒い水のようにおちかの背後をひたひたと満たして、そうしてやがてはおちか自身を呑みこんでしまうようだった。
 ……いや違う、呑みこまれるのだ。このままならば。
 そう、いつも――いつも、そうだから。あたしは知ってる。
 そして呑まれてしまえばあたりは真っ暗闇の中、あの男が待っている。
 湿っぽい、熱い息遣いが、耳たぶにまで届くようだ。おちかは叫ぶ。誰もが気づかないとは知りながら。
「お願い、誰か……!!」

 

「どうした? 嬢ちゃん」
 だから手を差し延べてきた男を見た時には、おちかは心底驚いた。眩しい日差しを背に浴びて、なのに男は妙に涼やかに笑んで見せた。
「顔色が悪いぜ。暑気あたりかい」
「あ、あの……」
 思わず襟元に手を遣って、おちかはしばし息を止めた。ひどく綺麗な男だった。こんなに顔の造作のいい男は、芝居絵でしか見たことがない。
 黒の着流しに、ゆるく帯を一本締めているだけの砕けた支度は、いかにも遊び人の体である。しかし月代はきれいに剃り込んであり、鬢にも目立つ乱れは少なく、だらしない様子ではない。
 おちかは一瞬気を抜かれたが、すぐに己を取り戻した。背後の気配は、言いようもなく濃くなっている。
「お助けくださいまし」
「なんだ、どうしたえ」
 逼迫するおちかの口調に対し、男のそれはのんびりとしたものである。何が迫っているにせよ、こんな町中の昼間だ。無理もない。
 しかし、おちかは尚のこと、分かってもらわねばと切なる声で訴えた。
「追われているのでございます」
「へえ。そいつァ穏やかじゃねェな」
 男はおちかの肩を抱き、すっと己の懐の内に引き寄せる。おちかはその動きに身を固くしたが、男にかまった様子はなかった。庇ったつもりなのだろう。
 男は手庇を作って、参道全体に目を配る。そうしながら、おちかに尋ねた。
「……で、そいつはどんな奴だ」
「若い男です。縞のお仕着せに前垂を着けた」
「なんでェ。どッかの店の手代かえ」
「うちの……」
 俯いておちかがつぶやくと、男はへえ、と顎をさすった。どことなし、その声には興を惹かれたような趣がある。
「おまえさんちの手代かい。そンなら追われてるってェ話は解せねェ。嬢ちゃん、なんぞ悪さでもして、おとッつあんおッかさんに、遣いを出されでもしたんだろ」
「違います。そんなんじゃないわ。清太郎は、あたしの親に言われてあたしを追っかけているわけじゃ」
「ふゥん。手代の名前は清太郎か」
 憤慨しかけたおちかをかわして、男は彼女の両目を覗き込む。その切れ長の双眸にくっきりと映った、取り乱した狂女のような己の姿に、おちかは思わず目をそむけた。
「……清太郎はあたしの店の手代ですが、何を勘違いしたものか、あたしに懸想しているんです」
「ほぉ」
「清太郎はよく気のつく働き者だし、姿もいい。あたしも最初は、正直悪い気はしておりませんでした」
 だから清太郎の視線が自分に向いているのに気がつけば笑いかけてやりもしたし、胸を高鳴らせている彼を承知で、優しげな言葉で労をねぎらうことすらあった。
「でもだからって、そこまでだわ。どだい商家の娘とその手代が、添い遂げることなど出来る話じゃないでしょう」
「つまりその手代は、心得違いをしたってわけか」
 男の声はやわらかで、肩を抱く腕は逞しく心地いい。その身体の作る暗がりに身を潜め、おちかは迫る陰に対する怯えも忘れて、堰を切ったように己が胸の内をまくし立てた。
 そうです、と彼女はうなずく。
「清太郎は大きな取引を控えて金子の不寝番をしていた夜に、よりにもよってあたしの部屋に忍び入り、無理やりにでも自分の思いを遂げようと……」
 おちかは男の腕の中、ほおずきの鉢ごと己の両肩を抱いて身震いした。
「ですが未遂のままに事は露見し、清太郎は番所に突き出されました。そして主人の娘を強姦しようとした角でお縄になり、ついては死罪に」
「おいおい、待ちねェ」
 男は片手をすっと立て、おちかの口を押さえるような仕草をした。その口元は、面白い冗談を聞いた時のように微笑んでいる。
「そりゃおかしかねェか。死んだ人間が、どうやってお嬢さんを追って来るって言うんだい」
「だから」
 おちかは男の着物の袖をぎゅう、と握る。肩を抱かれた時も思ったが、夏だと言うのにひんやりとした感触がした。
「だから、恐ろしくてたまらないの。清太郎は、亡者になっても尚あたしを追ってくる。あたしと冥土でもかまわないから、めおとになろうと……いつまでも付きまとって来るんです」
「ふぅん」
 男は再び首をかしげた。おちかは不安に思ったが、その眼に彼女に対する嘲笑の色はない。
 男はしばしおちかを見つめ、それから口角の片方を、ちょいとばかり吊り上げた。
「……そいつァ夢の中までもかい」

 

 男がそう言い放った瞬間、縁日の喧騒がふっと一気に遠のいた。
 参道をゆく人々の姿は見える。屋台もある。目に見える景色の何もかもが、消えてなくなってしまったわけではない。
 それでも、おちかを取り巻くその諸々が、一斉に現実の厚みを失くした。まるでどれもこれもが絵筆で描いた、ぺろぺろの紙切れに変じでもしたかのようだ。
「ゆめ……?」
「そうさ。あんただって、ほんとは分かっているんだろ」
 笑みを崩さないままで男は言う。おちかはのろのろと、絵巻物のようになったあたりのすべてを見まわした。水でふやかされたようにぼやけた色彩の群れの中で、唯一ほおずきの紅だけがあざやかだ。
 ――そう、これは夢。だからおちかはこの先の事の成り行きを、すべて知っていたはずだった。
 おちかは結局抗しきれず、四万六千日の縁日のさなか、清太郎の待つ闇へと引きずり込まれる。そこで存分に、彼に本懐を遂げられてしまうのだ。
 幾度も巡る縁日、毎夜訪れる夢の中で。なのにこんな男が現れてきたことは、これまでただの一度もなかった。
 おちかは瞳孔をいっぱいに見開いて、男の胸を突き放す。彼はあっさり、おちかに掛けていた腕を解いた。
「……あんた、誰」
 すると男はゆっくり微笑む。それは見る者を蕩かせるような、甘い笑みだ。
「そうさな。あんたらに分かりやすい言葉で言うなら、俺ァ獏だ。夢喰らいの獏」

 

「ばく……?」
 おちかは男の言葉を繰り返し、呆けた顔で整った彼の顔を見返した。
 獏という生き物は知っている。身体は熊、鼻は象、目は犀。尾は牛、足は虎に似るだとか。悪夢封じの縁起物として絵草紙に描かれているのを、いつだか見た覚えがあった。
 しかしむろん、これはただのまじないで、実際にそんな奇天烈な獣が世を闊歩しているわけではない。そのはずだ。
 うそ、とおちかは言った。男は変わらずにこにこしている。
「だってあんた、どう見ても人間の男じゃないの」
「そりゃさ、お嬢ちゃん。いきなり獣のなりで現れちゃ、あんたが逃げッちまうからだろう」
 男は言いながら、己の目元を軽く撫でるようにした。するとその瞳がきゅうっと狭まり、針のように細くなる。
 人の眼じゃない――だけでなく、陽の光でよくわからないが、底光りもしているようだ。おちかは短く喘いで、そこから数歩を後ずさった。
「そらな」
 男は愉快そうに笑う。その物腰も口調も気さくで、こうしていると、とても人外のものだなどとは思えない。
 だが、おちかは怯えた。どんなに繕っても、もう目が違う。しかもその目だけは、微妙に口元とは違う色合いで笑いの弧を描いている。
(清太郎)
 もう夢の中にしか存在しない、けれども夢見れば必ずその姿を現す手代の名を、おちかは胸中でつぶやいた。ほおずきの鉢を我知らず抱きしめて、振り返る。
 ぼやけたほおずき市の賑わいの中で、影がそそり立っていた。人物の仔細は判然としないが、その背はひょろりと高い。
「……お嬢さん」
 影がつぶやき、腕を伸ばした。おちかは「ひ」と小さく叫ぶ。
 思わずたたらを踏んだその踵が、距離を取ったはずの男の足を踏みつけた。
「おお痛」
「あんた……獏さん」
 どうせ夢の中だ。なにが起ころうと不思議ではない。
 開き直ったおちかは、男の胸に背を預けながら早口に言う。
「あたしの悪夢を食べに、ここへきたの?」
「オヤ呑み込みの早いこった。その通りで」
「じゃあ、そうして。あたしを助けて」
「ぅん? まァそりゃかまわねェけどよ……」
 自ら獏だと名乗ったくせに、男の返事ははかばかしくない。その間にも、影は奇妙に伸び縮みして、姿かたちを顕そうとする。しかし、ほおずき市の景色はそのまま、いつものように闇が満たしはしなかった。
 胃の腑を突き上げられるような焦燥に駆られ、おちかは思わず怒声を上げる。
「早くして! あいつがあたしを捕まえてしまうじゃないの!」
「あいつ?」
 男の指がするりとおちかの顎を撫でた。長い指が、しなやかにおちかの小さな顎を掴む。
 そのままぐい、と彼女の頤を上に向け、男はその耳たぶに形の良い唇を寄せささやいた。
「本当にあれを喰っちまってもいいのかい? ……見ねェ」
 顎を抑えられ正面を向かされて、身動きの出来ないおちかは見ざるを得ない。いつもなら姿を確認するまでもなくすっぽりと水のような闇に覆われ、閨の中まさぐられる感触を覚えるだけだ。
 それは確かに男の腕の感触。おちかの夢見る、男の声。お嬢さんお嬢さんと、切なげに名を呼んでくる……
(お嬢さん……)
 ――否。
 おちかは目を見開いた。やけに明るい悪夢の中で、正体を顕した影が清太郎ではなかったせいだ。
 そしてそれは、男ですらない。だのにおちかは、その相手をよく知っていた。
 誰よりも。
「清太郎……」
 そう切なげに呟いたのはあたし。夜着を乱して髷も鬢もほつれさせた、それこそ狂った女そのものの……
 喰ってもいいのかい、と獏がもう一度ささやいた。
「ほゥら。……あんただ」

 

 事の発端は、四万六千日の縁日だった。冷やかしに出かけたほおずき市で、おちかは見たのだ。
「なァ、人違いしちゃいけねェよ。あんたの清さんはアレだろう」
 獏の長い指が一点を指す。おちかはおかげで、あの日の再現を無理やり目にすることになった。
 ……ほおずきは別名を鬼灯とも言う。亡者を導く、冥土の灯りなのだそうだ。大人がその実を水で鵜呑みにすると癪を切り、子どもであれば虫の気が去るとされ、薬草として名のある草だがその反面、この紅い実にはそうした昏い話も尽きない。
 無数の冥土の灯りに照らされ、夏の参道をゆく清太郎の横顔は晴れやかだった。その顔は、おちかなど見ていない。微塵も。
 そしてその清太郎の隣には、見知らぬ娘が付き添っている。自分よりかは格段に見劣りのする身なり、貧しげな装い。それでも清太郎を見上げる両の眼は輝いている。
 おちかは背後の獏の存在も、目の前のもう一人の自分の事も忘れ、ただ腕のほおずきを掻き抱いた。その女は誰、清太郎。どうしてそんなに大きなお腹をしているの。
 その夜、番頭の覚えもめでたい清太郎は、翌日の取引のための金子を守る不寝番を任されていた。おちかはそれを利用して家中の者が寝入るまで待ち、密かに清太郎を呼び出したのだ。
 清太郎は主家の娘に対する礼節は保っていたが、それでもあからさまな戸惑いとかすかな迷惑とは、隠しようもなく滲み出ていた。おちかが抑えた声で昼間の事を尋ねると、すぐにそうした色は霧散したが。
 清太郎は一瞬紙のように白くなったあと、娘のことを好き合っている女だとおちかに言った。
 ――手代風情が所帯を持つなど、とんでもないことだとは分かっております。ですが、あいつの腹には俺の子が。
 後生です、と清太郎はおちかの前で、畳に額をすりつけたのだ。
 ――どうか旦那さまへお知らせになるのだけはご勘弁いただけませんか。仕事は今まで以上にいたします。あいつも俺が一丁前になるまでは、暮らしが別でもかまわねェ、祝言だって挙げるのは後でいいと言うんです……
 おちかの頭は真っ白になった。ずっとずっと、清太郎を見ていた。彼が奉公に来た子どもの頃から、一心に想ってきたのだ。
 そして清太郎は、年の近いおちかにいつでも親切だった。それは仕える家の娘に対するそれを逸脱するものではなかったのに、世間知らずのおちかはそこを誤解した。
 微笑めば、微笑み返してくれる清太郎。おちかがわがままを言って父親に叱られていた時も、あとで優しく慰めに来てくれた。
 想い合っていると思っていたのだ。何も言わずとも、二人の間には暗黙の内に将来の約束があると、そう思い込んでいた。
 主人に見込まれて番頭にまで出世しても、暖簾分けしてもらえるかどうかはまた別の話なのが奉公人の立場である。一生飼い殺しにされることも珍しくはなく、ましてや店の娘と結ばれるなど、夢物語もいいところだ。
 とは言えこれが、全くあり得ぬものでもなかった。商売人は時に血よりも才の方を重んじる。おちかが迎えるどの婿の家格よりも、清太郎の金を生み出す才の方が優れていると判断されれば、彼がお店の旦那さまと呼ばれることも夢幻とは言い切れぬ。
 だが当の清太郎が、そんな未来を夢見てはいなかった。彼が選んだのは裕福な暮らしと権力を与えることのできる商家の娘のおちかではなく、何も持たない奉公人の自分と同じ、つまらない町娘であったのだ。
 おちかは血の気の失せた顔で、平伏する清太郎の前にほおずきの鉢を突き出した。そして怪訝な顔をする彼に、震える声音でこう言った。
 ……おまえ、清太郎、知っているかしら。ほおずきは子殺しの薬にもなることを。これを今すぐ、その孕んだ女に呑ませるといい。
 清太郎は目を見開いた。そしてすぐさま、それだけは勘弁をと繰り返す。しかしおちかは許さなかった。許せるものか。
 ――言うことを聞かないなら、全部をおとッつあんに話してやる。おまえなど、店にいられなくしてやるんだから。
 丁稚奉公から始めて、真っ当な手代になるまで。清太郎がどれだけ努力し、研鑚を積んできたかおちかはよく知っている。今の立場は彼のすべてのはずだった。手放せるわけがない。
 確かに清太郎は苦悩していた。しかし彼は、ほどなくして己の両膝を握り込むと、キッとおちかを睨み返してきたのだった。
 ……ようございます。どうぞお嬢さんのお気の済むまま、旦那様に話してやってくださいまし。
 ――何よ。話さないとでも思っているの。おまえ、手代の立場で余所に女房と子を持つなんて、許されることじゃないのよ。店を放り出され、親子して路頭に迷う羽目になるのよ。
 かまいません、と彼はきっぱりとそう答えた。先ほど一瞬だけ浮かび上がった憎悪の色も、再び見上げてきたその眼からはすでに見えなくなっていた。
 ――そンならそれで、親子三人、いかようにでもして生きてゆきます。やっぱ俺が、間違っていた。お嬢さんに口止めなンざ、卑怯な頼み事でした。
 そして清太郎は深々とお辞儀をして、おちかの部屋から退こうとした。おちかは震えた。行ってしまう、清太郎が。あたしではなく、別の女のところへと。
 おちかはほおずきの鉢を叩き割った。驚いて振り返った清太郎の襟をつかみ、無我夢中で己の方へと引き寄せた。そしてそのまま、二人して部屋の片隅に転がり込んだ。
 清太郎は何とかおちかを鎮めようとしたが、その遣り取りで二人の着物の合わせも乱れた。物音に飛び起きた家の者が、すわ物盗りかと駆けつけてきた部屋では、清太郎とおちかの折り重なった身体があった。
 実直な清太郎がするとも思えない暴挙に、一同は棒を呑んだように立ち尽くした。清太郎は誤解に気づいて弁明しようとしたのだが、おちかの金切り声がそれを遮る。
「助けて! 清太郎があたしに乱暴しようとしたの!!」
 逆上した父親に殴られ、番頭に打ち懲らされて、それでも清太郎は違うと叫んだ。けれども一人娘を溺愛する主人にその声が届くことはなく、主家にはどうでも逆らえぬ、それが骨身に染み込んでいる奉公人たちに、清太郎を弁護することなど元から出来る話ではない。
 清太郎はその夜の内に番所へと送られて、あっという間に草葉の露と消えてしまった。あの夜のおちかはただ、清太郎をあの女の元へやりたくない一心だった。あの女の産んだ子を抱く彼など、想像するだけでも耐えられなかった。
 ……なのに結局、おちかは彼を失った。その後の風聞では、清太郎が死罪になった心痛で女は子を流産し、それを儚んだ末に己も川へ身投げをしたそうである。

 

 もうこの世にはいないはずの男女が、笑いさざめきながらほおずき市を歩いてゆく。連なる鬼灯のぼんぼりは、どこへ続いているのだろう。もしやして、冥土でもあろうか。
「可哀そうになァ、あんた」
 獏が言った。そう言う声も、蕩けそうに甘いままだ。
「想う男の想う相手がてめェじゃなかったってのが、そんなに受け容れ難ェことだったのかい。それでせめて夢の中で、思う通りの筋書きをこしらえたんだな」
 目の前の影のおちかの身体が変じた。それは見る間に闇色の清太郎の姿になって、おちかを呼ぶ。お嬢さん、俺を見ておくれよと切なげに身悶える。
「想いを寄せたのは清太郎の方。あんたを恋い慕って、勝手に狂い死んだんだ。そうすりゃぁ、なァ? あんたの主家の娘だってェ体面も嫉妬に狂った醜さも、取り繕えるって寸法だ」
 お嬢さん……清太郎が腕を伸ばす。男がトン、とおちかの背を軽く押す。おちかは幻の清太郎の腕にすっぽりと抱きすくめられた。
「ひでェ悪夢だ。俺から見りゃ、そいつはどっちもおめェさんだ。あんたァ自分で自分を抱いているのさ。これが虚しくなくて、何が虚しいって言うのかね」
 おちかの瞳に、涙があふれた。見れば、清太郎も泣いている。自分と同じ顔をして泣いている。……あの娘と一緒にいた顔は、幸せそうに微笑んでいたのに。あの日のままで。
「俺は夢喰いの獏だ。あんたの夢を、きれいさっぱり喰らってやろう」
 おちかの身体に、闇色の水のように清太郎の身体が溶け込む。そしておちか自身の身体も、ゆっくりと黒い水に浸されてゆく。
 ざわざわと、再び周囲が動き出した。でも誰も、おちかを見ない。おちかを喰らおうとする男も見ない。
 男は優しく微笑んだ。針のように尖りきった二つの瞳が、ほおずきの実よりも深い紅に妖しく輝く。

 

 着物の合わせを開かれて、帯を解かれた。往来の真中で、暗い水のような身体が押し倒される。その首筋を、男の赤い舌が這う。
 確かにおちかは少しずつ喰われていったが、男は絵で見たような獣に変じることは終ぞなく、痛みは皆無に近かった。まるでただ、優しく抱かれているだけのような気さえした。
 恐ろしいのに陶然となりながら、おちかは男の背に腕を這わせ、うわ言のように繰り返す。
 夢を喰われたら、現実のあたしはどうなるの。うつそみのあたしも、死んでしまう……?
 男はおちかの髪を撫で、甘い声でささやいた。誰がそんなひどいことをするものか。こんなに美味い餌を与えてくれた恩人に。
 どうにもなりゃしねェさ、と男は答えた。
「ただ二度と、悪夢を見なくなるだけだ。清太郎の出てくる悪夢はな」
 その瞬間、おちかはかっと眼を見開く。そして、喉も裂けよとばかりに泣き叫ぶ。
 ……いや……!!

 

 色町に、ほおずきにも似た赤い提灯がぽつぽつと浮いている。そろそろ秋風も涼しくて、そぞろ歩きにはいい宵だ。川沿いに並ぶ茶屋から、女のチントンシャン、と三味線を掻き鳴らす音が流れてくるのも風情を感じる。
 その茶屋から客引きに顔を覗かせた若い女が、通りかかった男を見て奇声を上げた。
「あれお哥さん、びっくりするくらい美い男だ。んねぇ、安くするからサ。遊んでおいきよ」
 振り返った男は女を見、切れ長の目元を和ませた。
「悪ィがうつそみの女にゃ興味がねえ」
「何さ。意味の分かんないこと言って。絵姿の女にでも懸想してるって言うのかい」
 若い女はむぅと唇を尖らせて、不躾に男の持っていた紙切れを取り上げた。
「なんだ。絵かと思ったら読売じゃないか。この話ならあたしも知ってる。豪商の娘が今朝方、土左衛門になって浮いちまったって奴だろう」
 女はしげしげと読売を見つめたが、すぐに興の失せたように突き返してきた。
「着るもんにも食うもんにも不足のないイイとこのお嬢さんが、なんだってまた世を儚んだりしたのかね。この読売じゃ、奉公人に乱暴されかけたことがあって、それを苦にしたんだろってこッたけどサ。いくらイイとこの娘ッたって、今時の若いのが最後までされたわけでもないってのに、それで身投げまでもいくもんか」
「どうかな。……案外最後まで、されなかったからかもしれねェぜ」
「えェ!?」
 女はさすがに気味の悪そうな顔になったが、男が愛想良く微笑むと、ふっと頬を赤らめた。
「……ま、別になんでもいいけどね。でも縁起の悪い話だよ。ここにも地続きの川だってのに、この娘の前にも別の娘が身投げしたばッかなんだから。こっちもやっぱり、理由はよく分かんないんだそうだけど」
「ふゥん」
 男は顎をひと撫ですると、じゃあな、と手を振って去ろうとした。あばた顔に愛嬌のある、化粧っけの少ない茶屋の女は、まだ未練あり気に男の袖をツン、と引く。
「つれないねェ。……あのさぁ、じゃあさ。せめてなんか、食ってかないかい? 金なんか取らないよ。あたい今日、お茶を引いちまっててサ。淋しいンだ」
「すまねェな。腹もあいにく空いてねぇ。喰ってきたばかりなんでな」
 男はぽん、と女の頭をひと叩きして、今度こそ背を向けた。なんでェ、ケチッ!! と女は叫んだが、男はそのまま行ってしまった。

 

「わかんねェな、人間は」
 男は読売を手に、首をかしげる。色町から離れて辺りは真っ暗だったが、赤く光る眼を持つ男に、町の灯りは不要であった。
 娘がたばかった手代はすでに死んでいる。彼女を断罪できる者はもういない。
 繰り返し見ていた悪夢もその虚しい自慰行為ごと、きれいに喰ってやったのに。
「……それとも夢の中だけでも、愛しい男に想われたかったってェわけなのか?」
 男は娘の絶叫を思い出す。組み伏せた身体の下で、身をよじって叫んでいたおちかの言葉。
 いやだ、会えなくなるなんて。本当にもう会えないなんて。清太郎……!!
 するとよ、と男はひとり呟いて足を止める。
「あの娘にゃァ、あれは悪夢じゃなかったってェ言うのかい」
 あんなに悪い色をしていたものを。闇に沈んだ娘の裸身は、返す返すも美味だったのだが。
 男はバリバリと頭を掻いたが、やがて諦めたように読売を手放した。川風に煽られて、白い紙片はひらひらと飛んでゆく。
 ――まァ別にいいか。美味かったのだし。
「……ごちそうさん」
 男は川辺に合掌して頭を下げると、そこからいずことも知れぬ、闇の中へと消え去った。

 

 ……今宵は誰の、夢の中やら。

 


 



--
すみません……バクがこんなにいい男なら……

喰われても良いっす。爆

と思った私の思いなどこの際どうでもいい! おちかにとっての恐怖が一体本当は何だったのか……むしろ本当におぞましいのは裏と表のわからない混沌とした人間の想い……!
相変わらずこんなプチ企画にもったい無いほどの深い作品! 矢月様、本当に有り難うございました!!
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無題
tiara 2009/08/12(Wed)10:23:34 編集
相変わらずのクオリティ……!
流石!のひと言に尽きます!(感動)
子を殺された女は鬼に、恋に裏切られた女は蛇になるといいますが、果たしておそろしいのは架空の妖怪か生身の人間か……すべては感じるものの心次第ですね。
しかし、獏さん男前!つーか獏って男だったのか!(←知るか)
やっぱり夢にも美味い不味いがあるんでしょうねvv
素敵で、そしてとっても背筋の寒くなるお話でした!
「鬼灯」tiaraさんへ
矢月水 URL 2009/08/13(Thu)21:55:22 編集
感想ありがとうございます(感涙)
獏さんが男でしかも美男子なのは、私の趣味です(笑)
ついでに獣形が真っ白なケダモノなのも、私の趣味です(恥)
同じ悪夢でも美味い不味いはやはりあるようですね…で、おちかの夢は美味かったようです。
が、単に女好きなだけなんじゃという気もしています。
背筋が寒いとはもったいない(涙)
自分的にはせっかくのホラー企画をヒーローものにしちゃったかな、みたいなやっちゃった感がありましたので、矢野さんのコメントも含め、もったいないお言葉をホントにありがとうございます…!
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