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夢捨て場
日常報告及びネタ暴露専用のブログです
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2009/08/12 (Wed) 11:00

MH祭~夢草紙~ 第16幕

ラスト本日含めて四日となりました!
さあ皆様お待ちかね!
再び舞い戻ってくださいましたよ、ミクロ祭レギュラー陣、矢月水様が!

しかも前回の獏様が再びっっ……!(様つけたくなるよねあのお方っっ!)
幼子が迷い込んだ悪夢……
人の歪んだ想いが、少女の心を蝕む……
RDGのブログに咲き誇る矢月様ワールド、「つづきは~」からご堪能あれ!

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人形の家

 

 陽菜はここはいやだな、とそう思った。
 場所は陽菜のお気に入りの部屋だ。幼稚園の遊戯室。いつも遊ぶお人形が、特大サイズになって転がっている。
 どのお人形もぬいぐるみも、今年五つになる陽菜よりもずっと大きい。それとも小さくなっちゃったのはひななのかな、と小さな陽菜は不安に思った。
 ついさっきまで誰かが遊んだばかりのように、巨大なおもちゃはてんでんばらばらに散らばっている。なのに周囲を見渡しても誰の姿もない。
「しょうくん?」
 陽菜は仲良しの男の子の名前を呼んでみた。だが返事は無かった。
「さくらちゃ……ななみちゃーん?」
 恐る恐る、やっぱり大きなドアに手を触れた。ドアノブまではとても手が届かなかったが、陽菜の力でも案外簡単にドアは開いた。
 だが次の瞬間、陽菜はその場に凍りついてしまった。みるみるその目が涙目になる。
「せんせぇっ! たかひらせんせいっ!!」
 幼稚園の高平先生の名を呼びながら、陽菜は次の部屋へと転がり込んだ。
 ……本当ならそこは、陽菜のイチゴ組へと続く廊下が伸びているはずだった。だが、陽菜が半泣きで駆けているのは、いま出てきたばかりの遊戯室だ。目の前には陽菜の大好きなウサちゃんの、ふかふかの白い身体が横たわっている。
(ここ、どこ?)
 いくら幼い子どもでも分かる。この場所はおかしい。ひどく異質な感じがする。
 少なくとも陽菜の親しむ、いつもの幼稚園でないことは明らかだ。
 窓から届く陽の光は真っ白で、今がいつなのかも分からない。遊戯室の天井は高く、ごろごろ転がる大きな人形たちは視界を塞いでとても邪魔だ。案の定、陽菜はそのうちの一つに足を引っかけて、すぐにバタンと転んでしまった。
「いたぁ……」
 膝小僧のひりひりする痛みに涙がこみ上げてくる。ごつごつと喉まで痛くて、鼻の奥がつぅんとなった。
(ないちゃ、だめ)
 陽菜は園服の袖に顔を埋め、大声で泣き出したい衝動と闘った。こんなところでひとりぼっちで泣いたりしたら、きっと何倍も哀しくなる。
 それにもし、何か怖いものが泣いている陽菜の声に気がついて、やって来てしまったらどうしよう。
 陽菜は自分の思いつきに震え上がった。そしてその想像が、彼女の一生懸命の我慢をあっさり押し流してしまう。
「う、ぅえっ……」
 陽菜は小さな嗚咽を漏らした。そうしたら、もうダメだった。
「うあああぁーん!! ママ、パパァッ!! 痛いよう、怖いよう……!!」
 幼い身体を思い切り震わせて、衝動のままに陽菜は泣き喚く。だが陽菜がいくら泣き崩れても、巨大な遊戯室はしんと静まり返ったままだった。人形たちも、そのままだ。
「ん……んっく、ふぇぇ……っ、く」
 しばらく身体中の水分がなくなっちゃうんじゃないかと思うぐらいに泣いたけど、さすがにその涙も尽きてくる。声も掠れて、陽菜は思い切り泣くのも疲れるものだと初めて知った。
「んん……ん」
 真っ赤に腫れあがったホッペとまぶたをこすりながら、身を起こす。するとどこからか、「おーい」と陽菜を呼ぶ声がした。
「だれ?」
 陽菜は慌てて辺りを見回したが、部屋の中には誰がいる様子もない。声はどうやら、別の部屋に続いているらしいドアから聞こえてくるようだ。
「おーい」
 陽菜はパッと立ち上がった。声に聞き覚えのある気もしたが、今はそんなことを考えている余裕は無かった。
 次の部屋には、誰かがいるのだ。声の感じからして、きっと大人の男の人だ。
 その人が、陽菜をおうちに連れて帰ってくれるかも。
 陽菜はやわらかな頬をピンク色に火照らせて、大きなドアを小さな手で押し開けた。ほとんど倒れこむように、次の部屋に入り込む。
 でもそこで見た光景も、陽菜がこれまでさんざん見てきたそれらと、何ら変わり映えのしないものだった。白い壁に楽しい絵柄の踊る、暖かいオレンジ色のカーテンの遊戯室。ウサちゃんやクマちゃんのぬいぐるみに、手足の長いバービー人形。
 陽菜より大きい。ずっと大きいお人形たち。こんなものでは遊べない。
 陽菜の顔がふにゃ、と崩れた。また泣き出してしまいそうだ。
「おぉい」
 でも、そこにまた声がした。陽菜はハッと出てきた涙を引っ込める。
「だれ? おねがい、おへんじして!」
 小さな身体を突っ張るように、全身で陽菜は叫んだ。また「おーい」と声が返る。他に言葉がないのだろうか。
 だが、それでも陽菜は目を輝かせた。ウサちゃんの向こう、確かに誰かが手を振っている。
「そこにいるの?」
 陽菜はころころと駆けて行った。すると彼女の近づくのを察したのか、ウサちゃんの陰からのそりと相手も立ち上がる。
「おーい……」
 ……陽菜は、ひくりと喉を鳴らした。こめかみがキーンと痛くなった。
 立ち上がったのは、案山子だった。本当なら田んぼにいて、稲をつつきにくるスズメやカラスなんかを追い払うのがその役目だ。
 子どもの遊び相手の出来る人形では無かった。それも、ひどく不気味な案山子である。
 頭部はマネキンで出来ていた。男の人のマネキンだった。
 なのに胴は束ねた藁で、不恰好な一本足は竹筒だ。顔と身体のリアリティの差もさることながら、人間の美男子を模したはずのその顔も、唇の端から耳の先までヒビが入ってしまっている。
 おまけにその傷からは悪戯だろうが、赤いものまで染み出しているというありさまだった。
「やっ……」
 陽菜はすぐにきびすを返して逃げようとした。理屈など五つの陽菜には分からない。でも、自分の名を呼んだのは間違いなくこいつだと、そう思う。
 案山子は普通なら喋らない、などとは陽菜は考えなかった。まだ物と人との境界が、完全には明瞭でない年頃である。
 それに、何より直感がそう告げていた。これは何か良くないものだ。とても良くない。
 ――逃げなければ。
「うわぁぁぁん!!」
 ひどい、と陽菜は思った。どうして陽菜がこんなに怖い目に遭っているのに、パパとママは知らん振りをしているのだろう。高平先生やお友達は、こいつに食べられちゃったのかしら。
 駆け出した陽菜の上に、案山子がゆらり、とのしかかってくる。陽菜はびっくりして飛び退いたが、案山子はそれでもあろうことか腕を伸ばして、陽菜の足首を手につかんだ。
「きゃんっ!」
 陽菜はまた、ころりんとひっくり返る。それでも急いで身を起こすと、案山子もまっすぐその場に倒れてしまっていた。一本足だから上手く歩けないんだ、と陽菜は思う。
 倒れてもなお、案山子の手は陽菜の足首を握ったままに離さない。足は竹で出来ているのに、藁の胴体から生える両腕は、マネキンのものだった。それが余計に気持ちが悪い。
 さらに最悪なことには、マネキンの案山子がうつ伏せのまま、もぐもぐと陽菜に語りかけてきたのである。
「陽菜ちゃん、遊ぼう」
「可愛いね、陽菜ちゃん」
「甘いお菓子をあげようか」
「一緒に、暮らそう」
 とりとめもない上に、最後の要求などはとんでもない話だ。こんな怖い案山子と一緒に暮らすことなど、陽菜に出来るわけがない。
「やだ。おうちかえる」
「素敵なお家に住もうねえ」
「ひなのおうち、すてきだもん」
「陽菜ちゃんには、真っ白いドレスが似合うよ」
「いらない。ママがぬってくれた、ピンクのワンピースのほうがいい」
「毎日髪を結ってあげる。たくさんのリボンがあるよ」
「リボンなんかきらいだもん。いちごのゴムがいいんだもん」
「……大好きだよ、陽菜」
 陽菜の涙が一瞬だけど引っ込んだ。この案山子は本当に怖い。陽菜の言う事を、何ひとつ聞いてはいない。
「やだ、はなして」
「愛してる、陽菜」
「ひなはきらい、あんたなんか、だいっきらい!」
 思わず叫ぶと、案山子はようやく黙り込んだ。陽菜はぶんぶんと足を振って、何とかその手を引き剥がそうともがいたが、つるりとプラスチック製の冷たい指は、陽菜の足首を固く握って離さない。
「……おーい」
「……!?」
「おぉい……」
 顔を伏せたまま、うつ伏せに倒れた格好で、案山子は再び呼びかけ始める。誰を呼ぶのか。陽菜はもう、ここにいるのに。
「やだ、こわい! こわいよぅっ……!!」
 陽菜は泣いたが、誰もいない。この部屋には案山子と陽菜だけ。そしてきっと、この次の部屋もここと同じ。ここは、人形たちの家なのだ。
「わあーん! ぁあぁーんっ!!」
 陽菜は赤ん坊みたいに泣いた。ママのお腹には今、陽菜の弟か妹が入っている。だから陽菜はもう、赤ちゃんみたいに泣き虫ではいけない。お姉さんになるんだからと言われていたのに。
「……赤ん坊の泣き声かと思ったら」
 ふいに、別の誰かの声がした。そして陽菜は、ひょいと抱え上げられる。がしゃんと、案山子の腕が床へと落ちた。
「こりゃもう少しは大きいや。いくつだ、嬢ちゃん」
 あんまりびっくりして、泣くのも忘れて見上げると、知らない男の人がそこにいた。まだ若いお兄さんだ。
「五さい……」
「五つか。そンならもう赤ん坊みてぇに泣いちまっちゃ、いけねェな」
 陽菜は目をまるくして男を見つめた。それからぐしぐしと顔を擦ったのは、彼に言われたことが恥ずかしかったせいもある。
 幼い陽菜にもそれと分かるほど、綺麗な男の人だった。陽菜のパパと同じような当たり前の格好をしているが、王子様みたいだとそう思う。ママに見せたら喜ぶだろう。
「だぁれ……?」
 鼻水をすすりこんで尋ねると、その人は軽く笑って陽菜の小さな鼻をつまんだ。陽気な声が、答えをくれる。
「俺は獏だ。夢喰いの獏」
 陽菜は目をぱちくりとしばたたかせた。

 

「ばく……?」
「おうよ。悪い夢をバクッと喰っちまうのさァ」
 男は洒落たつもりだったが、小さな陽菜には分からなかった。その片腕に抱き上げられた格好のまま、陽菜は訝しげに首を傾げる。
「うそ。ひな知ってるもん。バクっていうのはね、あのね」
「鼻が象で目が犀で、身体は熊に尾は牛だってぇ言うんだろ? けどなァそんじゃ、嬢ちゃんが怖が……」
「ちがうよぉ。おかおはゾウさんににてるけど、からだは黒と白でブタさんみたくてかわいいの。ひな、どうぶつえんで見たことあるもん」
「動物……」
「そうよ。おにいちゃんはにんげんでしょ?」
 男は絶句した。彼は短く唸り、今度は眼の虹彩をキュ、と縦に尖らせたが、陽菜は小首を傾げただけだ。
「おめめがへん。それにおにいちゃん、おはなしすることばもヘンよ」
「……どうにも昔の癖が抜けねェんでな。勘弁してくれ」
 男は顎をさすってそうつぶやいたが、ふと顔をそむけると、「ガキは苦手だ」とぼそぼそ言った。その男の足に、すぅ、と案山子の腕が再び伸びる。
「――おっと!」
 男は片足を上げてそれを避け、そのままその足で案山子の腕を踏み抜いた。藁の胴体がびくんと跳ねる。
「まァいいや」
 ぴくぴくと痙攣する案山子に容赦なく、もう一度蹴りをくれてやってから男は言った。腕に抱いていた陽菜を今度は背に負い、彼はニヤリとして見せる。
「ともあれ嬢ちゃん、安心しな。悪い夢は俺が喰らってやるからよ」

 

 男に蹴り飛ばされた案山子はそれきり、もうピクリとも動かなかった。陽菜は恐る恐る、男の肩からその様子を見下ろして、彼の耳元で小さく尋ねる。
「やっつけた?」
「いや、まだだ」
 「ばく」のおにいさんはそう言うと、砕いたマネキンの頭をじっと見つめた。そして空だ、と低くつぶやく。
「からって、なに?」
「中身がないってェこった。いいかい、嬢ちゃん。こっから先はおしゃべりはおしまいだ。大人しく俺にしがみついているんだぜ」
 男がそう言うや否や、信じられないことが起きた。遊戯室の人形たちが、一斉に立ち上がってきたのである。
 そのひとつひとつが大人ほどの大きさなので、とても可愛いとは言えなかったが、陽菜はなんとなく、その様子に「おもちゃのチャチャチャ」を思い浮かべた。
「分散しやがったか。器用な野郎だ」
「……陽菜ちゃん」
 陽菜は背筋がぞわぁっとした。うなじの毛まで、逆立ったのがよく分かった。
 ウサギにクマのぬいぐるみ。バービーちゃんに、リカちゃん人形。陽菜がいつも親しんできたその人形たちがみんな同時に、同じ声で陽菜の名前を呼んだのだ。
 ……あのかかしさんと、おんなじこえだ。
「いやぁっ!!」
「大丈夫だ。じっとしていな」
 男は陽菜の小さな尻をゆすりあげる。するとそれを見たのか、人形たちがキイキイ喚いた。
「陽菜ちゃん、そんな奴のそばにいちゃいけないよ」
「そいつ、悪い奴だよ。陽菜ちゃんを連れて行こうとしてるんだ」
「僕のとこへおいでよ陽菜ちゃん。そいつから、守ってあげる」
 人形たちの言葉づかいは、陽菜の友だちの翔太くんと同程度に幼けないが、その声質が太い男の声だというのが凶悪だった。その異様さに、陽菜は声も出せなくなる。
 だから答えの代わりに陽菜は面伏せ、男の肩にしがみついた。陽菜の態度に人形たちの喚きぶりは、ますます手に負えなくなってくる。
「だめだよ、陽菜ちゃん!!」
「その男は人さらいだ。陽菜ちゃんに、ひどいことをするんだよ!」
「けッ。盗人猛々しいたァ、このこった」
 男は人形たちを見まわして、鼻先であざけった。ぬいぐるみも人形も、男の言葉に喚くのをやめる。ぴたりと直立不動の姿勢になって、いくつもの無機質な視線が、男の身体を貫いた。
 対する男は平然としたものだ。
「人さらいはどっちの科白でェ、この変態野郎。しかもそれだけじゃ飽き足りず、子どもの夢の中まで忍び入って来るたァ恐れ入る。おかげで俺ァ、のこのこ呼ばれてきちまッた」
 男は秀麗な顔をしかめて、人形たちの群れをさらにじっと見る。やがて、ため息をひとつ吐いた。
「……あんま美味くなさそうだなァ、どう見ても」
「カエレ」
 人形たちがぐらぐらと揺れ始めた。背中の陽菜は、小さく縮こまったままで動かない。
 それで正解だった。これは人の子どもの眼には、実に毒な光景だ。
 林立する人形たちは、どいつもこいつも子どものためのものだった。だからそのどれもが大抵、微笑む形に作られている。
 そのにこにこと――しかし表情のない眼で笑う人形が、男を指さし平坦な、野太い男の声で唱和するのだ。
「カエレ」
「カエレ」
「カエレ……デテイケ!」
 男はもう一度、陽菜の身体をゆすりあげた。そして小さく「眼をつぶっているんだぜ」と念を押す。
「そうすりゃ怖いことなんて、なンもありゃしねェからよ」
「うん」
 素直にうなずいた陽菜に軽く微笑んで、男はやや前屈みの姿勢になった。そして同じく、今にも飛びかかろうと周囲を固めた人形の群れに、どこか呑気な声で言う。
「出て行くのァてめえの方だ」
 いや、と男は腕を床に着く。陽菜は、パパのしてくれる「お馬さん」を思い起こして、怖い気持ちを一生懸命握りつぶした。
 四つん這いになった男の身体が、白い光に包まれる。両の瞳が真っ赤に燃えて、一瞬ののちには、子どもを背負った一頭の獣がその場に姿を現していた。
「てめェはこの子の悪夢、そのものだ。獏がきれいに喰らってやろう」

 

 獣の咆哮する声を聞いた気がしたが、陽菜は言いつけどおりに目をつぶっていた。ぐうん、と腹の下の筋肉の躍動するのを感じる。なぜだか頬に、ふかふかとした毛が触れた。
 遠くに引っ張られ、跳ねる感触。その度ごとに、何かの引きちぎれる音、そして壊れる音が響く。
 陽菜ちゃん、と悲鳴のような人形たちの声が耳に届いた。
「きみが好きだよ、ずっと好きだよ。好きだったんだ……!!」
「――やかましいッ!」
 おにいさんの声だ。何を怒っているのかしら。
 陽菜はつい、薄目を開いた。そしてほんの少しだけぽかんとした。
 陽菜はいつの間にか、大きな白い獣の背に負ぶわれていた。毛の長い白い生き物で、真っ赤な瞳がママのルビーの指輪みたいだ。
 そして、獣の下にはお人形でなく、男の人が組み敷かれていた。知っている人だ。
 パサパサした髪の、いつもしわだらけのシャツを着ているおじさん。幼稚園の近所に住んでいる人で、どうしてかよく遊戯室の外から中を覗き込んでいた。
 幼稚園の先生たちは、その人とは話しちゃいけませんと陽菜たちに言っていた。そして来るたびおまわりさんを呼んだり、時には運転手の身体の大きな正岡さんが、棒を持って追い払ったりしていたけれど、陽菜はそれをなんとなく、可哀そうに思ったものだ。
(……おともだちに、なりたいんじゃないのかな)
 それで、一度だけ。たまたまママのお仕事の帰りが遅れて、他のお友達は皆帰ってしまって。先生も急な電話で席をはずして、遊戯室は陽菜一人だけだった時。
 そっと顔を覗かせた男の人に、陽菜は笑いかけたのだ。
「なにして、あそぶ?」
 それから……それから、どうなったんだっけ。
「陽菜」
 雪みたいに白い生き物が、おにいさんの声で陽菜に言った。ルビーの瞳はあんまり真っ赤で、それが少し怖かったけど、声の方は優しかった。
「眼を閉じていろと言ったろう」
「……うん」
 陽菜が目を閉じると、白い毛がしゅるしゅると舞い上がり、小さな子どもの身体をすっぽりと覆い隠した。
 だから陽菜は、聞かずに済んだ。最期の男の断末魔。
 ――愛してる、愛してる、愛してる陽菜ぁ……!!

 

「女の子だ! 無事だぞっ!!」
 急に明るいものがいくつも目の前でちかちかして、陽菜は不快げに低く唸った。思わず目を庇おうと腕を伸ばしたが、それを誰かの手がしっかりつかむ。
「おにいちゃん……?」
「大丈夫だ。もう大丈夫だからね」
 そう言って陽菜を抱きあげてくれたのは、全く知らない厳つい顔のおじさんだった。おじさんは余所を向いて、「対象を確保」と怒鳴った。
 陽菜はまだ眩しくて、目がよく見えない。それでもそこがひどく暗い部屋なこと、そして幼稚園の遊戯室と全く同じ種類の人形たちが、うんとたくさん転がっているのとは見て取れた。
 そして……あれは? 何だかわからないけれど、誰かが倒れているようだ。
 上には毛布が被せられて、寝ているのかと思ったが、それにしてはズボンの足が飛び出しているのが妙な気がした。
「見ちゃいけない」
 おじさんは陽菜の視線の動きに気づくと、その大きな手で陽菜の目を塞いでしまう。あのおにいちゃんとおんなじことを言う、と陽菜は思った。
「……おにいちゃんは?」
「おにいちゃん?」
 おじさんは怪訝な声で訊き返した。そして傍にいるらしい誰かに、陽菜に対するのとは打って変わった怖い声で短く尋ねる。
「通報者は?」
「若い男らしいんですが、不明です。電話もこの家の回線を使用したようでして、他の捜査員にあたりを探らせてはいるのですが」
「チッ。幼女誘拐犯を確保して、そいつの死体に出くわすたァ……」
「警部」
 咎めるような声に、おじさんはいけね、と短くつぶやく。「にしてもまるで獣のやりようじゃねぇか」とつぶやいた。
「けもの? おにいちゃんのこと?」
「うん? お嬢ちゃんは、何か知っているのかな?」
 陽菜を抱いたまま、おじさんはずんずんと部屋を出て行く。そして白いドレスやたくさんのリボンなど、散らかり放題の玄関先まで降り立って、そこで初めて、陽菜の目から手をどけた。
 それからおじさんは、うんと真面目な顔になる。元が元だけに、陽菜には少し怖かった。
「……おにいちゃんは、バクのおにいちゃんよ。ひなをこわいお人形のおうちから、たすけてくれたの」
 するとおじさんは、吊りあがっていた眉毛をへにゃりと八の字にした。そうすると怖いお顔がとたんに優しく見えるのが不思議だった。
「……そうか、そうか。なんだか怖い夢を見たんだね。無理はないが、もう安心だ。すぐにパパとママんとこに、連れて帰ってやるからな」
「ほんと!?」
 陽菜は飛び上がりたいくらいうれしくなった。やっと、パパとママに会えるのだ。パパには大きな白いバクさんの話を、ママにはおかしな言葉遣いの、王子さまのお話をしてあげなくちゃ。
「あのね、おじさん。おしえてあげる」
「何かな?」
「ひな、こわくないよ。こわいゆめはね、バクさんが食べてくれるんだって」
 そうか、そいつはいいと、おじさんは四角い顔をくしゃくしゃにした。

 

 青いビニールの覆いで隠されて、小さな女の子が無事パトカーに乗せられたのを見届けると、獏は屋根の上から立ち上がった。音も無く歩くので、夜陰に紛れた若い男を、家の屋根に見いだせる者はない。
 湿った夜風が、獏の髪をなびかせた。鼻を突く血の臭いに顔をしかめ、彼は血だらけの口の周りを乱雑に袖でぬぐう。
「勢い余って生身まで喰っちまった。夢よりもうひとつ不味いぜ、こりゃ」
 ぺっぺっ、と獏は口の中のものを軽く吐き出す。しばらくは胃痛に苦しむことになりそうだった。
 ……まあでも、仕方がない。夢でも現実でも、あの男は陽菜の悪夢だったのだから。
「歪んだ情の一念で、他人の夢の中にまで這入りこむたァな。怖ぇ話だ」
 もたれた腹を軽く叩いて、獏は小さくつぶやいた。それにしてもやっぱり喰うなら女の方がいいな、などと思う。
「……いい女になれよ、陽菜」
 低く笑うと、獏は屋根からひょいと飛び降りた。思いついたが、久方ぶりに知り合いの森へ行こう。子どものなりをした、隻眼の鬼。あそこになら、精進落としの酒もあろう。
 酒の肴は今宵の話だ、と、獏は落ちながら、闇に呑みこまれると見えなくなった。

 



--
獏様ああああああっっっ!!! あちしの悪夢も食べてええええええっっっっ!!!(黙れ)
ちょ、この格好良さ……ああいう登場ってすっごい痺れるんですよ。体中に電撃走りましたから。しかも案山子ってめちゃくちゃ怖いですよね!? 「不安の種」っつーホラー漫画にも案山子出てくるんですけどあれ本当に怖いんですよ! 映像化しても怖いよ案山子っっ!!
何はともあれ、最後の最後までこうして素敵作品を提供してくださった矢月様、本当に有り難うございました! ……今日あたり獏様おれんとこ来ないかな……

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矢月さんへ♪
tiara 2009/08/14(Fri)17:14:00 編集
わーい、獏様ふたたびっ!(小躍り)
勢い余って夢だけじゃなく生身も食された獏様、スーパーヒーローですな(笑)。
おそろしく男前の獏様との思い出は、いつか陽菜ちゃんの心から消えてしまうかもしれませんが、彼女がいい女になることは間違いなし!ですねvv
ラスト、自然な流れで鬼太郎とリンクしている辺りが流石~!と唸ってしまいました。
獏様、幼女から熟女までストライクゾーンが随分広い様子なので(笑)私のところにも来てくださ~い!
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